余命3カ月の少年に起きた奇跡

それからしばらく時が経ち、知り合いの紹介でコンサートスタッフとして働き始めた15歳の時。ある日突然、吐血して病院に運び込まれた。悪性リンパ腫で余命3カ月という診断だったが、片山さんには告げられず、母親は本人に直接告知するように看護師長に頼み込んだ。看護師長は病室に来て、病気の説明をした後に言った。

「あなたの命は、長くて3カ月ぐらいになると思う。目安なんだけど、あと100日ぐらいで死んでしまうと思うから、今を楽しんでね」

あまりに淡々と告げるので、片山少年も、思わず「はい、わかりました」と答えた。突然の死の宣告は悲しむというより、すべて受け入れるしかなかった。以来、看護師がみな優しくなり、父親は息子の悲運を受け入れられず、母親しか見舞いに来なくなった。

階段を下りる女性医師と看護師の後ろ姿
写真=iStock.com/Shoko Shimabukuro
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告知された後、もうすぐこの世を去る自分に残るものは「名前」しかないと考えた片山さんは、名前の由来や漢字1文字ずつの意味を知りたくなった。誰かが病院に忘れていった『広辞苑』を手に取ったのがきっかけで、看護師から漢字の成り立ちを解説した『新字源』という辞書があると聞き、母親に頼んで手に入れて、「片」「山」など名前の漢字を調べた。

『新字源』を見ているとほかの漢字にも興味がわき、漢字の勉強を始めた。余命3カ月なのに、半年後に開催される漢字検定を受けようと思い立ち、起きている時間のほとんどを漢字の調べものにあてた。その熱量は、余命僅かなことを忘れるほどだったという。

毎日、汗をかくほど漢字の勉強に熱中していたら、しばらくして耳を疑う事態が起きた。がん細胞が突然、消えてなくなったのだ。投薬治療が始まる前だったので、がん細胞がなぜ、どこに消えたのか、医師にも説明ができなかった。

「何十年も医師をやってきて、奇跡の話は聞くけど、目の当たりにしたのは初めてです。とにかく、おめでとうございます」

間もなく退院した片山少年は、自分がなぜ生き残ったのかを考えた。まるで命がなにかのふるいにかけられたような体験の後に出てきた答えは、病気を忘れるほど漢字に没頭したから、まだやりたいこと、伝えたいことがあるから、生かされた。そう実感し、それ以来、自分の本音、心の声と真剣に向き合って生きていこうと決めた。

楽屋の雑用係に

コンサートスタッフに復帰すると、闘病のことを知っていた職場の人たちが「お前はいつ死ぬかわからんから」と、楽屋付きの雑用係につけてくれた。座布団が欲しいと言われたら走って取りに行く役割だ。本番が始まると、舞台の袖で公演を見ることができるという特権もあった。その仕事で見た光景、聞いた言葉は、今も脳裏に焼き付いている。

20年ほど前の野村萬斎さんの公演の時。狂言師の仕事は、代々受け継がれる。でも、自分が父親の店を継がなくてはならないと言われたら、絶対に嫌だ。萬斎さんがその運命をどう捉えているのかと気になった片山さんは、楽屋の廊下を歩いていた萬斎さんに尋ねた。

「宿命って、あると思いますか?」

萬斎さんは、視線を片山さんに向け、目をクワッと開いて、「御覧の通り!」と一言。片山さんは、その言葉がうわべの意味ではなく、「音」として、真実の響きを持っているように感じた。