「感染者数」で考えるべきか「死者数」で考えるべきか
私が緊急事態宣言発出に違和感を覚える2つめの理由は、コロナの感染の危機を問題にしたり、非常事態宣言や飲食店の時短要請をしたりする場合に、「感染者数」を基に行うことが多いということだ。
季節性インフルエンザの場合、その感染の危機を問題視するとき、基本的には死者数を基に行う。「今年は3000人の死者が出た」といった報道はされるが、感染者数を報じることはほとんどない。
ある行動をする際、「何に判断基準を置いて」それを実行するか。その基準によって人の判断は大きく変わる。
たとえば、心理学の用語に「フレーミング」がある。心理学を経済学に応用しノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは、その著書『ファスト&スロー 上・下』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)において、フレーミング効果とは、「問題の提示の仕方が考えや選好に不合理な影響を及ぼす現象」(早川文庫版、下巻、237頁)と定義している。
同じ現象でも「思考のフレーム」によって結論はがらりと変わる
カーネマンと同僚のエイモス・トベルスキーが、医師に対して、A:1カ月後の「生存率」が90%と提示した場合と、B:1カ月後の「死亡率」が10%と提示した場合で、彼らが手術を選ぶか放射線治療を選ぶかを実験した。
表現・アプローチが異なるだけで、結局、AもBも同じことを言っているが、Aと言われて手術を選ぶ医師が84%いたのに対して、Bと言われるとそれが50%に減ることがわかった。つまり、「生存率」というフレームで考えるか、「死亡率」というフレームで考えるか。命を預かる医師という専門職でさえ、判断ががらりと変わってしまうのだ。
さらに、カーネマンが同著の中で提示したフレーミング効果の検証のために行った有名な実験がある。「アジア病問題」と言われるものだ。
600人の死が予想されるアジア病という伝染病について2つのプログラムのどちらを採用するかという問題である。
Aは200人が助かるプログラム、Bは600人が助かる確率は3分の1で誰も助からない確率は3分の2。
AもBも助かる人数の期待値は200人なのだが、Aを選ぶ人が72%、Bを選ぶ人はわずか28%だった。
ところが、「死ぬ数」を強調して同じことを別の言い方に変えて聞いてみたら答えはまったく違っていた。
Cは400人が死ぬプログラム。Dは誰も死なない確率は3分の1で600人が死ぬ確率は3分の2。この選択だとCを選ぶ人はわずか22%でDを選ぶ人は78%もいたのだ。
助かることを強調するか、死ぬことを強調するかで、こんなに判断が変わってしまうということだ。
コロナ対策を国が考える場合、その思考や判断のフレームワークの基準に「感染者数」を置いたら、感染者数を減らすことが最大の目標になるし、そのためにはどんな市民の生活の制限もいとわないことになるだろう。
しかし、緊急事態宣言のような施策は影響力が極めて大きい。経済はもちろん、前回指摘したように自殺者の増加や、高齢者の運動機能・認知機能の低下、あるいはコロナに対応できる免疫機能の低下にもつながるという問題も出てくる。
逆に、「感染者数」でなく「死者数」を減らせばいいというフレームワークの基準になれば、コロナ患者を入院させる医療機関の充実や一般市民の免疫力を上げる(栄養管理など)ための啓もうにもっと力を入れるということになるだろう。