教養は自分が納得して楽しめればいい

そして、教養の望ましい身につけ方、その3。自分が納得して、楽しむこと。

橋爪大三郎『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)
橋爪大三郎『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)

自分で楽しむ。満足する。これが大切。

つまり、教養は、自慢するものではないということです。

教養にもとづいて、発言したり行動したり、してはいけないのではない。本書の第5章でもすすめているように、読んだ本について考えたことを発信したり、誰かと感想をのべあったりするのは、学びを深める。よいことです。

でもこれは、教養をひけらかすのとは違う。教養があると思ってもらうために発言したり行動したり、はただの嫌味です。

教養に触れるのは、まず、楽しいから。楽しいから学んでいるうちに、結果的に、答えのない問題に自分なりの答えを出す準備が整うのです。要するに教養は、どこまでも自分のもの。自分が納得して、楽しめれば、それでいいものなんです。

ちょっと教養がついたかな、と思うと、そのことを誰かに認めてもらいたい、という心理になるひとがいます。けれどもそれは、やめておこう。みっともない。それに、その程度ではまだまだ教養が足りないことは、まる見えです。教養は自然ににじみ出るもの。そうでなければ尊敬されません。

【関連記事】
「円周率とは何か」と聞かれて「3.14です」は大間違いである
バカほど「それ、意味ありますか」と問う
新型コロナが重症化してしまう人に不足していた「ビタミン」の正体
菅首相が学術会議人事で大ナタをふるった本当の理由
「なぜ日本は重症化率が低いのか」新型コロナ"ファクターX"は2つに絞られた