「オレが育てた」という思い上がり
イギリスのことわざに、「馬に水を飲ませるために水辺へ連れていくことはできても、水を飲むかどうかは馬自身の問題だ」というものがある。これはある意味、人を育てる真理と言ってもいい。
一軍で通用する長所や武器を見出し、それを磨く方法を教えたとしても、指導者ができるのはそこまで。選手の側に自分から「覚えよう」という意識や姿勢がなければ、絶対に身につかない。「教えられるより覚えろ」なのだ。
結局のところ、教える側としてはただ見守ってやるしかないのである。
「あの選手を育てたのは、あの人ですよ」などと言われることがある。わたしも言われたことがある。言われて悪い気はしないし、本人はすっかり「オレが育てた」とその気になる。しかし、これは錯覚である。
「オレが育てた」と自負している人がいるとするなら、思い上がりもはなはだしい。水辺に着いて馬が水を飲むかどうかは、馬次第。「育てる」のではなく、「育っていく」のが真実なのだ。
指導者は、道案内役に過ぎない。だから、「育てる」というのは思い上がりなのかも知れない。ただし、教えられる側も「育ててもらえる」と甘えてはいけない。育っていくには、指導する側、される側がお互いに自分を律することが必要なのだ。
部下の信頼を得るための条件
リーダーが力を発揮できる最大で唯一の媒介は、「言葉」である。
その言葉に選手たちがどれだけ胸を打たれるかで、そのリーダーの値打ちが決まると言ってもいい。リーダーは、自らが発する言葉で部下を感動させなければならないのだ。つまり、信頼されるリーダーの条件のひとつは、説得力のある言葉を備えているかどうかにある。
そのために、リーダーにはさまざまな知識、経験、視点が求められる。部下から、「この人はよく勉強しているな。目のつけどころがいいな」と思われることをきちんと言葉で伝えることができて、はじめて信頼や尊敬につながっていく。だからこそリーダーは、常に選手より一歩先をいかなくてはいけないのだ。
スラスラと上手に話す必要はないが、リーダーは的確な言葉を使い、表現力に富んだ説得力のある話をしなければならない。それができれば、聞く人の心に残り、信頼感の礎になる。リーダーは、言葉の大切さをいま一度かみしめてほしい。「言葉は力なり」である。
わたしは、説得力のある言葉を使えるようになるために、とにかく書物を読んだ。そして、そこに出てくる言葉に自分の経験や身につけた技術などを結びつけていった。わたしの話に説得力があるとすれば、そのときに読んだ書物の賜物である。