人の心を動かす方法がある。2020年2月に亡くなった野球評論家の野村克也氏は「理だけで人は動かない。情にもとづく理、理にもとづく情があってはじめて、チームも人間関係も円滑に機能させることができる」という――。

※本稿は、野村克也・著『野村の結論』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

試合前、レジェンドホークスセレモニーで花束を贈呈された元南海の野村克也氏(左)と門田博光氏=2013年8月31日、福岡ヤフオクドーム(現在の「福岡PayPayドーム」)
写真=時事通信フォト
試合前、レジェンドホークスセレモニーで花束を贈呈された元南海の野村克也氏(左)と門田博光氏=2013年8月31日、福岡ヤフオクドーム(現在の「福岡PayPayドーム」)

基本姿勢は「原理原則」

「常に原理原則を見据える」というのが、わたしの監督としての基本理念だ。

原理原則とは、一語で言えば「理」である。ものごとの筋道や法則のことであり、もっとわかりやすく言えば、「あたりまえのこと」と言い換えてもいい。

このことをしっかりわきまえていれば、どんな事態にも冷静に対処できる。事物、事象、仕組み、構造など、世の中に存在するものすべてに理があり、根拠がある。だから理にかなわないことはしないし、どんなときでも理を以ってして戦う。それが、わたしの野球観だ。

野球というスポーツの勝敗の行方を握るのは、7~8割が投手である。投手が相手打線を0点に抑えられれば、100パーセント負けない。逆に、味方打線が10点取っても、100パーセント勝てるとは限らない。だから、理にかなった野球をするなら、投手を中心としたチームづくりをするのが正しいという結論になる。

野球に限らず、どんな仕事でも、ここはどうしたらいいのかと判断に悩んだり、迷ったりすることがあるだろう。迷ったときは、やはり原理原則に照らして判断するのが、もっとも理にかなった方法だと思う。そうしていれば、仮に間違ったとしても、その結果を受け入れることができるのではないだろうか。

奇策を弄して目先を変えるほうがいいと言う人もいるが、それでは根本的な解決にはならない。判断に困ったとき、迷ったときこそ、原理原則に立ち返るべきなのだ。