どの組織にもリーダーに求められる役割には共通点がある。今年2月に亡くなった野球評論家・野村克也氏は「目先の勝利にこだわるあまり、肝心の『人』を殺してしまっては意味がない。結果を残すことはもちろん大切だが、それ以上に大切なことがある」という――。

※本稿は、野村克也・著『野村の結論』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

2009年4月29日、完投した田中将大(右)から、監督通算1500勝のウイニングボールを受け取る楽天の野村克也監督(クリネックススタジアム宮城)[代表撮影]
写真=時事通信フォト
2009年4月29日、完投した田中将大(右)から、監督通算1500勝のウイニングボールを受け取る楽天の野村克也監督(クリネックススタジアム宮城)[代表撮影]

一流にあって二流にない“感性”

人間の最大の悪は、鈍感である──。わたしはそう信じている。

一流になる人間は、みな感じる力を持っている。些細なことに気づくから自ら変わることができ、その変化が大きな進歩につながる。

だから、一流の選手は総じて修正能力に優れている。一度の失敗でどこが悪かったのかに気づけるので、同じ失敗を二度と繰り返さない。2回、3回と失敗を繰り返す者は二流、三流。4回も5回も繰り返す者は、もはやプロ失格である。

失敗を失敗として自覚できない、もしくは失敗の原因を分析する力がなければ、失敗を糧に成長することはできない。だから、「最大の悪は鈍感」なのだ。

「感じる力を持っている人間は絶対に伸びる」

これは、半世紀以上プロ野球の世界で生きてきたわたしの実感である。

一部の天才を除けば、プロのレベルであれば、一生懸命練習しても技術力に大きな差は生まれない。一流のバッターも、二流のバッターも技術的にはそれほど変わりはないのである。

ではなにがちがうのか? それは頭である。一流と二流のちがいは「頭脳と感覚のちがい」だと、わたしは思っている。

二流の人間というのは、鈍感なのである。