原発の「国策民営方式」を見直すべき

福島原発事故は「日本沈没」への序章となってしまうのか。(PANA=写真)

福島原発事故は「日本沈没」への序章となってしまうのか。(PANA=写真)

また、運転開始後40年以上を経た福島第一原発1号機で、津波到来以前に地震の揺れで設備の一部が破損したのではないかという疑問が最近浮上したことをふまえるならば、運転開始後40年以上経った他の2基の原発(日本原子力発電の敦賀原発1号機と関西電力の美浜原発1号機)についても、少なくとも事故調査委員会の精査が終わるまでは、運転を凍結すべきかもしれない。

民間電力会社の原子力発電所の運転再開に関して国に第一義的な責任があるというのは、筆者が、そもそも原子力発電事業については電力会社の経営から分離し、国営化することが望ましいと考えているからでもある。

この原発分離国営化は、日本の原子力開発が「国策民営方式」で進められてきたことによって生じた問題を、一挙に解決する意味合いをもつ。

福島第一原発事故が起こる以前から、日本の原子力発電事業は、民間会社によって営まれながらも、「国策」による支援(国家の介入)を必要不可欠とするという矛盾を抱えていた。

原子力発電に国家介入が必要となる事情としては、まず、立地確保の問題をあげることができる。原子力発電所の立地を円滑に進めるためには、電源三法の枠組みが、なくてはならない重要性をもつ。

電源三法の枠組みとは、電気料金に含まれた電源開発促進税を政府が民間力会社から徴収し、それを財源にした交付金を原発立地に協力する地方自治体に支給する仕組みのことである。これは、端的に言えば、国家が市場に介入して原発立地を確保する手法であり、民間会社は、自分たちの力だけでは、そもそも原子力発電所を立地できないことを意味する。

原子力発電への国家介入を不可避にするもう一つの事情としては、使用済み核燃料の処理問題(いわゆる「バックエンド問題」)がある。

核燃料のバックエンド問題に関しては、リサイクル(再処理)するにせよワンススルー(直接処分)するにせよ、国家の介入は避けて通ることができない。

とくに、現在の日本政府のようにリサイクル路線を採用する場合には、核不拡散政策との整合性を図ることが必要になるが、それが、市場メカニズムとは別次元の政治的・軍事的事柄であることは、言うまでもない。

これらの立地問題やバックエンド問題に加えて、今回の福島第一原発事故は、最も重要な非常事態発生時の危機管理についても、民間電力会社だけでは対応できないことを明らかにした。自衛隊、消防、警察、そしてアメリカ軍までもが福島第一原発1~4号機の冷却のために出動せざるをえなかったことは、原子力発電事業を民営形態に任せることの「無理」を示している。

「国策民営方式」の大きな問題点は、原子力発電をめぐって国と民間電力会社のあいだに「もたれ合い」が生じ、両者間で責任の所在が不明確になっていることである。

9電力各社は、むしろ、「国策」による支援が必要不可欠な原子力発電事業を経営から切り離したほうが、いい意味で私企業性を取り戻し、各社の民間活力を発揮することができるのではないか。

9電力会社中最大の東京電力でさえ、いったん重大な原発事故を起こせば経営破たんの瀬戸際に立たされる現実をみれば、民間電力会社の株主(場合によっては経営者)の中から、リスクマネジメントの観点に立って、原子力発電事業を分離しようという声があがっても、けっして不思議ではない。(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時

(平良 徹=図版作成 PANA=写真)