インターネットは「きれいでなにもない場所」になる
わずかな額でもよいから、課金による入場制限をかける――ただそれだけで、なんの炎上もない。なんの誹謗中傷もない。「可燃性の高い文脈」を添えてシェアするような、犬笛を吹く者もいない。書き手も、読み手も、全員が快適な、穏やかで平和な空間が提供されているのである。当初はごく限られた人しか「有料のゲートの向こう」にある快適さを知らなかったが、しかしいま、私の周辺だけでもじつに多くの書き手がその事実に気づき始めている。
ここでなら「センシティブでアグレッシブな側面を含むが、しかし重要な話」をいくらでも書くことができる。オープンでフリーなインターネットから離れれば離れるほど、快適で平和で有益な活動の場を手に入れられる。これが現在のインターネットの、まぎれもない真実の姿である。
インターネットを回遊すれば「不届き者」を見つけることはたやすい。見つけたその「不届き者」について、SNSでセンセーショナルな文言を足してシェアすれば、近頃はすぐに着火する。小さな種火が育ち、大きく火柱を上げれば、その「不届き者」を社会的に制裁、あわよくば抹殺することさえできるかもしれない。「世直し」気分に浸れてスカッとするだろう。多くの人との連帯感を高められるだろう。自分に寄せられた賞賛や共感に心地よくなれるだろう。
だがそれは、インターネットという豊かな牧草地の土壌を少しずつやせ細らせ、草ひとつ生えない死んだ土地へと向かわせる営みである。