「センシティブだけど重要な話」を書きづらくなっている

日に日に治安が悪化していくなかで、「センシティブでアグレッシブだが、しかし重要な示唆に富む話」をオープンでフリーなインターネットに書くインセンティブが、cakesどころか既存のウェブメディアのほとんどすべてで失われつつある。

「厳しく苦しく深刻で語弊があるかもしれないが、しかし伝えなければならない大切なこと」は、オープンでフリーなインターネットに公開してしまえば、そのようなメッセージを受け取る「真摯な読者」よりもずっと多くの「みんな見てくれ!!! コイツはこんな最低で最悪で人権感覚の欠如したことを書いているぞ!!!」という低劣な「犬笛吹き」を招来してしまう。「ホームレスの実態やその生活のリアルを同じ目線で伝える」ことを目的とした挑戦的なテキストでも「ホームレスを珍獣扱いして人権を軽視している連中がいるぞ、みんな集まれ!」という文脈を添えてシェアする人間を制御できない。

いじめ
写真=iStock.com/Andrii Yalanskyi
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「課金」にするだけで、炎上を免れられる

「不届き者を見かけたら、もっとも可燃性の高い行間の読み方をして、それをシェアした人間が優勝」というのがいまのオープンでフリーなインターネットでもっぱら行われるコミュニケーションとなっている。

このような状況においては、だれでも読めるような場所に「センシティブでアグレッシブな側面を含むが、しかし重要な話」を出す理由が急速に失われていく。そのようなことをしてもメリットはほとんどなく、リスクばかりがいたずらに高まってしまうからだ。当たり障りのないことを書く情報量ゼロの記事か、最初からSNSの自警団を憤慨させてページビューをかき集めることが狙いの「炎上マーケティング」のいずれかばかりが量産されるようになる。

私はこうしたオープンでフリーな場所以外に、「note」というメディアでも記事を書いている。しかしそこでは私は一切不快な思いをしたことがない。理由は言うまでもない。そこでリリースされる記事は月額購読制であるからだ。