ウェブメディアの記事はしばしば「炎上」する。文筆家の御田寺圭氏は「ネット上で“不届き者”を見つけて吊るし上げることで、世直し気分を味わっている人たちがいる。多くの書き手たちは嫌気がさしている。これではインターネットという豊かな空間が、死んだ土地になってしまう」と警鐘を鳴らす――。
夕日
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インターネットに文章を発表すると「嫌な気持ち」になる

御田寺圭の不都合な深層」と題した連載まで与えてもらった身分でありながら、このようなことを述べるのは気が引けるのであるが、しかし率直な心情を綴らせてもらうと、私は近頃、インターネットに文章を発表することで、楽しい・嬉しい・心地よいといった気分を得るよりも、不快感やいらだちを覚えることの方が残念ながらずっと多くなった。

いや、より正確にいえば「オープンでフリーなインターネット」に文章を発表するときにこそ嫌な気持ちになることが多くなった。――これはおそらく、私にかぎった話ではなく、かなり多くの文筆業者たちに、少なからず同意を得られるのではないかと感じている。オープンでフリーなインターネットになにか文章を出すとき、ワクワクする気持ちや、多くの人に見てもらえる場に発表できてうれしいという気持ちよりも「叩かれませんように」「炎上しませんように」とばかり考えてしまうか、あるいはそもそも書くこと自体を躊躇するようになっている。

「cakes」で頻発していた炎上騒ぎ

近頃頻発していた「cakes」というウェブメディアでの炎上騒ぎを眺めながら、私はさらにそのような実感を強めていた。同社ではまず、連載していた人生相談系のコラムが炎上し、次にホームレスのもとを訪ねてその生活の実情をリポートした記事が炎上、さらに声優・文筆家の浅野真澄氏の連載企画がcakesの判断によって取り下げになってしまった件が大きな火柱を上げた。ごく最近のことなので、覚えている人も多いだろう。

短期間で大きな炎上を重ねるにつれ、cakesというメディアそれ自体に対するバッシングの風潮がSNSを中心に形成されていった。

あさのさんはどうやら勘違いしてますが、掲載できないのは炎上のせいではありません。内容に問題があったのです。昨今のメディアが置かれる状況をご存じないようですが、自殺というのはとてもセンシティブに扱われています。この連載を掲載して生じるリスクについて、あさのさんはどうお考えですか。繰り返し強調しますが、炎上のせいではありませんので――。
あさのますみ『cakes炎上と、消滅した連載』(2020年12月9日)より引用

浅野氏の連載中止について、「自死」は扱うテーマとしてセンシティブすぎる――というのが会社側の連載取り下げの理由説明であったようだ。そこでは、昨今頻発してしまったcakes記事の炎上案件とはあくまで無関係であることが繰り返し強調されていた。

取り下げ判断に至った意思決定プロセスの真相は部外者からはわからないが、しかしひとりの書き手の視点からすれば「炎上は関係ない」という編集側の繰り返しの言明がかえって不信感を強めてしまったようにも見える。

個人的な意見を言えば「炎上が関係ない」ことはまずないだろうと思われる。立て続けに炎上が発生しなければ、おそらく浅野氏のエッセイはそのままcakesでの連載企画が通っていたはずだ。実際のところ、他の「ハイリスク」あるいは「センシティブ」な内容を含む連載企画についても、cakesから打ち切りの判断が下されているようだ。