だが、その取引構造とは異質な取引構造をひっさげて参入する企業が、時々現れることがある。それが、先程述べたような業界を破壊する新参企業である。
それら新参企業に、既存企業が対抗するのは難しい。なぜなら、新参企業と正面から戦うためには、新参企業の取引構造に従わなければならないが、従ってしまうと、自分たちが育てた、拠って立つところの取引構造を崩してしまうことになるからである。
「競争相手に対して自分の優位を確立する試みが、そもそも自分の拠って立つ基盤をかえって掘り崩してしまう」というこのパラドクスは、かなり納得できるだろう。
そうした論理が立てられると、このセオリーは、抗うことができない普遍的な万能の論理に見えてくるだろう。
だが、普遍的なセオリーは世の中に存在しない。鉄鋼業のケースで言うとこの逆転劇はアメリカ鉄鋼業において起こったことでしかない。日本では、そうした現実は生まれてはいないのだ!!(栗木契『マーケティングにおけるデザインの罠』)。
ビジネスにおいて、セオリーは重要だ。セオリー知らずの無手勝流は、舵を失った船のようになる。セオリーは企業を救う。
だが、ここで言うところのセオリー、あるいは社会科学の世界で言われる理論の多くは、たとえば自然科学における引力の法則のように、抗い難い絶対法則ではない。それらのセオリーは、限られた状況において有効であるにすぎない。
セオリーとは、経営者の「実践」によって乗り越えられていく「課題」と考えるほうが、ビジネス世界には合っている。私たちは、抗い難い「セオリー」に縛られ、自らの存続を脅かす厳しい「現実」に直面しているように思ってしまう。
だが、そうではない。それらは、乗り越えることができる。それを可能にするのは、経営者による「実践」である。
「実践は、セオリーを超え、現実を乗り越える」。ビジネスの世界には、そうした「実践」例で溢れている(拙著『ビジネス・インサイト』参照)。
※すべて雑誌掲載当時