「宮崎家の男は、酒に溺れると40代をまたげない」

そもそも父方の家系は大酒飲みが多く、「宮崎家の男は、酒に溺れると40代をまたげない」と、父から耳がタコになるくらい聞かされていた。酒を控え、健康的な生活を心がけていた父も、71歳で亡くなってしまった。にもかかわらずぼくは、二度もアルコール性膵炎で入院するまで、酒を365日、休みなく飲み続けていた。そんなんだから、とくに離婚してからは、常軌を逸した飲み方をするようになっていった。

ここで厄介なのは、医学的な真偽は置いておくとして、「宮崎家の男は酒を飲むと体を壊す」という父の知見を、ぼくは知っていたということである。知っていてもなお、アルコールに溺れてしまった。

父から子への口伝が駄目だったなら、仮にタイムマシーンがあって、ぼく自身が20歳のぼくを説得しに行ったらどうだろうか。説得できるだろうか。父の言うとおり、アルコール依存症になって体を壊したという情報を自分に伝えても、「まだ大丈夫」「もうちょっと大丈夫」「あと1年だけ飲もう」と“知っていてもなお”を繰り返したように思う。いつの時代も、親は子どもに「勉強しなさい」と言うものだ。

「お酒は強いんですけど、心が弱いんです!!」

一方、母は「お日様が沈むまでは飲んじゃ駄目」と、ぼくに常々言っていた。ある日、お日様が沈む前からしこたま飲んでいると先輩から電話があって、実家の前のスナックで合流することになった。おじさんが石原裕次郎を歌っていた。ぼくもなにかを歌っていた。気づいたら救急車に乗っていて、傍らには母がいた。まさかの「ママからママへ」のバトンパスが行われていたのだ。

救急車
写真=iStock.com/Martin Dimitrov
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若い救急隊員が、「お兄さん、なにを飲んだんですか」と聞いてきた。朦朧とする意識のなか、「よっ! 平成の裕次郎!!」と合いの手を入れたところまでなんとか時間を巻き戻し、「ウイスキーとテキーラ……とか」と力なく答えた。隊員は呆れた顔をして、「息子さん、お酒は弱いんですか」と母に聞いた。すると母は「お酒は強いんですけど、心が弱いんです!!」と絶叫したのだった。母さん、ついでに言うと体も弱いです。

なんだか書いていて、ぼくだけが特別に「弱いやつ」なんじゃないかと思えてきた。しかし、そうだろうか。酒の問題だけをとってみても、アルコール依存症の生涯経験者は100万人以上いるという。「アルコール依存症者の疑い」「問題飲酒者」まで含めると1千万人近くになる。社会環境や法整備、嗜好品への国民的な意識など、いろいろな問題はあるだろうけど、どんなに予防策をとっても一定数、アルコールと上手く付き合えない人が必ずいるように思う。

だから、同業の後輩たちが「仕事が終わったから、今日はこれをキメる」などとSNSでつぶやいて、度数の高いサワーをカジュアルに飲んでいる姿を見ると不安になる。「お酒は一生飲めたほうが楽しいよ」とよく言っているけど、どんなに注意しても常軌からこぼれ落ちる人はいる。危険な側面を理解していても、一定数は「弱いやつ」が出てきてしまう。それは意志の問題であるのかもしれない。けど、誰でも手に入るものである以上、自分が一定数に入らない保証はない。“知っていてもなお”そうなってしまう「弱さ」が人間にはある。