※本稿は、宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)の1章「ぼくは強くなれなかった」の一部を再編集したものです。
本を読み、酒を飲んでいれば、「文学」だと思っていた
中原中也の「宿酔」という詩の一節である。「千の天使がバスケットボールする。」。二日酔いの苦しさと、なんともいえない侘しさをこれほどまで的確に表現した詩人はいないのではないか。中原中也は、酒席で太宰治に「何だ、おめえは。青鯖が空に浮んだような顔をしやがって」などと罵って理不尽に絡んだり、中村光夫の頭をビール瓶で殴ったりといった伝説に事欠かない酒飲み、もとい酒乱だ。
中原中也で卒業論文を書いたからというわけではないが、ぼくもよく酒を飲んだ。文学部にいるうちは、本を読み、酒を飲んでいれば、一人前に「文学」に励んでいることになると思い込んでいた。過去の文学者に倣って大酒を飲み、「何者か」になったつもりでいた。
社会人になってからも、毎日とにかく、酒、酒、酒の日々……。365日、休みなく飲み続け、休肝日という発想は皆無だった。「酒をやめるくらいなら、死んだほうがまし」。本気でそう思い込んでいた。
しかも、何年もののロマネ・コンティ……なんて上品な飲み方ではなく、重要なのはアルコール度数だ。度数が高くて、値段が安ければなおいい。お金がなかった20代前半には、わざわざ遠方の酒屋まで歩いて、度数とリットル、値段を計算し、一番費用対効果が高い酒を探したものである。4リットル1800円ほどの安焼酎を背負って帰っていたのだから、当時のぼくには元気があった。
「酒のない人生なんて、空虚で華もない。酒こそが人生だ」
度数至上主義。そう呼べば多少は聞こえがいいが、ようはただの馬鹿である。そのうえ、一部界隈では「早飲みの宮崎」の異名を取っていたため、4リットルの空きボトルが一気に溜まる。大学時代、ある先輩が「酒は飲むものではなく、消すものだ」とぼくに教えてくれた。世界中を放浪するのが好きで、偽物のトルコ絨毯をつかまされたことを笑って話してくれた先輩は、今どこでなにをしているのだろうか。
しかし、酒を飲んだって何者にもなれはしない。中原中也は酒を飲むから詩人だったのではなく、ただ単に「詩人であり、かつ酒飲み」であっただけなのだ。「平凡であり、かつ酒飲み」のぼくは、いつからか酒と上手く付き合うことができない自分に気づきつつも、それを認めることができないでいた。明確な破綻を迎える時までは。
酒を飲むと気分が良くなり、楽しくなる。気が大きくなり、全能感が味わえる。普段よりも積極的な性格になって、いろいろな人と語らい、仲良くなれる。酒のない人生なんて、空虚で華もない。酒こそが人生だ。そんなふうに思い込んでいたため、自分が酒をやめられる人間だとは思ってもいなかった。というか、酒のない生活がどういったものなのか、ぼくには想像することすらできなかった。
事態が急変したのは2016年5月。急性膵炎で二度目の入院をした際、医師から「金輪際、もう酒はやめてください」ときっぱり宣告された時である。神託を下すような、毅然とした物言いだった。