「これからは休肝日を設けて、ほどほどに飲もう」

急性膵炎は、アルコール性のものが多いらしく、ぼくの場合は十中八九、アルコールに起因する症状とのことだった。「酒をやめるってことは、今後の人生、一杯も飲んではいけないってことでしょうか?」なんて野暮な質問はしなかった。なぜなら、一度目の入院の後、節酒に挑戦するも失敗した苦い経験がすでにあったからだ。

「飲みすぎたのがいけないんだ。これからは休肝日を設けて、ほどほどに飲もう」。

そんな計画が続いたのは、たったの1か月。入院のつらさを忘れた頃には、すっかり元の飲み方に戻っていた。いや、以前より酒量が増えたかもしれない。ダイエットでいうリバウンドみたいなものである。しかも、途中から「赤ワインは体に良さそうだから、いくら飲んでもオッケー」という謎のルールが加わった。これでは、焼酎がワインに変わっただけだ。赤ワインを口の周りにつけながら、行きつけのバーでくだを巻いていたぼくは、ワインを愛好する女優が亡くなったニュースを聞き、その場で膝から崩れ落ちた。

男性患者
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そんなこんなで、二度目の入院と相成ったわけである。アルコールについては、今思えば笑い話になることもたくさんある。しかし、冷静に振り返ってみると、当時のぼくはやっぱり心が壊れていた。それをなんとか取り繕おうとアルコールを飲み、さらに心は壊れ、酒は深くなっていった。

飲むことで、前妻との生活に向き合うことから逃げていた

どこかで歪みが生まれたのだろう。気がついたら、酒量が常軌を逸した量になっていた。それがいつからなのか正確な線を引くことはできない。「あそこかも」と思う地点もあるが、徐々に酒が日常を侵食して生活を覆っていった、というのが実感だ。

30歳の時に、ぼくは離婚した。理由を人に聞かれたら、「小さなすれ違いが重なって、ある時期から取り返しのつかない心の距離が生まれてしまった」と説明している。この説明に偽りはないが、その根底にはぼくの飲酒の問題があったのは間違いない。

どこかのタイミングで、酒が楽しむために飲むものではなくなっていった。仕事に集中し、気が高ぶり過ぎて眠れなくなった。強制的に仕事のことを考えなくするために、気絶するまで酒を飲んだ。そのうち、「執筆に弾みをつけたい」と、仕事中も飲むようになった。そして、仕事のストレスや、なかなか成長できない自分に対する自信のなさを忘れるための「物質」として、酒が手放せなくなった。

「効能」を求めて酒を飲むようになり、求める効能の数は次第に増えていった。効能が、ぼくの駄目な部分、嫌いな部分を治してくれると信じた。さらに、酒によって生じたメンタルや体のトラブルを、効能によって抑えようとすらした。DVや借金といった深刻な事態には発展しなかったが、前妻との生活に向き合うことから逃げていた。