自動車以外の産業での話だが、日本を代表する企業で同じ分野のアメリカ企業に追いつき、追い越せを目標にしてきた企業で、実際に追いついてしまった90年代半ばに、その企業の人から聞いた川柳がある。
アメリカと肩をならべて頭なし
じつは、アメリカのところに当該アメリカ企業の名前が入っていた。その企業の人々が、追い越した後何をすればいいのかよくわからないという気持ちと、トップがだらしないという気持ちと、2つの苦い気持ちを込めた川柳である。
じつは、日本の漂流は、すでにかなり以前から始まっていたのである。それが、抜き差しならないリアリティとして表れてきたのが、最近なのであろう。その背後には、低迷の時代が長く続いて、リアリティチェックを経営の現場できつくやりすぎてきたことがあるのであろう。
業績がよくないから、少しでも改善したい。だから目の前を少しでも、「できる範囲で」よくしようとする。そのために、経営施策のリアリティチェックを厳密にやろうとする。しかも、そのやり方が長く意味があったような経験もある。たしかに昔はリアリティチェック優先でもよかった。夢が半ば外在的に存在したからである。
しかし、リアリティチェック優先の惰性のままでいくと、できそうな夢しか紡がなくなる。だから、牽引力がない。リアリティチェックのやりすぎなのである。
それが行き詰まってきた現在、宇宙人宰相の政権へと交代したのは、案外いいことかもしれない。夢を描くためには、宇宙人的発想でもいいから、一度まず飛んでみることが必要なのであろう。常時駐留なき日米安保であったり、温暖化ガス25%削減である。できればそれをやりたいが、現実的にはとても無理、という目標を「いったんは考えてみよう」という姿勢がじつは必要なのかもしれない。そうした夢を描く作業をあちこちで「多少の無理は承知のうえで」やってみて、その中からリアリティチェックにかろうじて生き残るものを探そうとする姿勢が必要なのであろう。
リアリティのある夢を描く作業は難しい。しかし、政府でも企業でも、トップがその難しい夢を描けなければ、組織は大きく前へは踏み出せない。
日本の漂流はしばらくは続きそうである。どうせ漂流するのなら、その先に夢の持てる漂流をしたほうがいい。