戦後あるいは高度成長期の日本、また、現在の中国や韓国において、企業は大きな戦略地図を描き、「坂の上の雲」を目指して投資をしてきた。本田技研工業とサムスンの挑戦を通して、現在の日本企業に欠けているものを説く。
「理詰めの経営」が立ちすくむ理由
チマチマした差別化、ばらまき技術投資、結果として世界的レベルの競争での大きな立ち遅れ。そしてそうした経営のあり方を、「当社の現状を考えると、これが当面のベスト」と、あたかも論理武装をさせている、えせ「理詰めの経営」。
中国や韓国の企業の乱暴にも見える大胆かつ戦略的な行動と比べると、そしてそれをやってしまう彼らのエネルギー水準の高さを見せつけられると、日本企業サポーターとしての伊丹もつい文句を言いたくなる。
理詰めの経営は、大きな戦略的地図を持った人が細部をもゆるがせにしないように気をつけるときには有効でも、戦略的地図も将来の見取り図も頭の中にない人が目先の論理を重箱の隅をつつくように詰めたところで、「立ちすくみ」に終わるのが関の山である。
戦後あるいは高度成長期の日本にも、現在の中国や韓国にも、そうした戦略的地図を描いて「坂の上の雲」を目指して投資を行ってきた企業があった。彼らと今の日本企業を比べるのは酷だとは思いながらも、「なぜ、ここまで違うか」と自問せざるをえない。
今、私は本田技研工業の創業者である本田宗一郎氏の伝記を書こうと調べているので、とくにそれを感じるのかもしれない。あるいは、この経済危機後のサムスンの回復の勢いが日本の電機メーカーが束になっても敵わないほどのレベルであることを見て、それを感じるのかもしれない。
浜松の町工場(自転車用補助エンジンが最初の事業)として1948年に創立された本田技研工業はわずか10年足らずで日本一のオートバイメーカーになり、そして創業後15年で四輪自動車への参入を宣言する。そうした準備として、創立4年後には資本金600万円の会社にしかすぎなかったのに、4億5000万円の資金をかけて欧米から当時の最先端の工作機械の輸入に踏み切る。大きな戦略地図がなければ、とてもできない決断である。
10月末の日本経済新聞に、サムスンのこの7~9月期の決算を日本の電機大手の決算と比べる記事が載っていた。サムスンの営業利益約3260億円に対して、日本の国内大手9社の合算営業利益が1519億円。束になってもサムスンの半分にならないのである。サムスンは2020年にすべての産業全体でのグローバルトップ1 0を目指し、売上高4000億ドルを目標とするビジョン2020を10月30日に発表したそうである。