サムスン飛躍のカギは「ジャンプアップ作戦」
サムスンは80年代半ばに(つまりたった25年ほど前に)当時世界最強だった日本の半導体メーカーの牙城であった半導体メモリーの世界に本格参入した。韓国の国内市場などないに等しく、当時、無謀だと言われた。私もそう思った。しかしサムスンは日本企業の隙を狙うようなニッチ投資から始め、ついには参入後わずか10年で日本企業をほとんど追い落とすところまで成長した。
そうなってしまった原因には日本企業の対応のまずさもあったが、サムスンの投資戦略も見事だった。半導体がシリコンサイクルという循環をする市況型産業であることをある意味で利用して、不況期になると次の好況期を目がけた大型投資をするのである。その大型投資を横目に日本企業は、「それでは過剰設備の危険があるから、投資は控えめにしなければ、しかも不況期で資金的にも苦しいし」と「理詰めの経営」に見える行動を取った。それで次の好況期がきたときには、供給能力のある企業へと半導体ユーザーは注文を出す。もちろん、設備投資をしなかった日本企業にも需要は回るから、それなりに儲かる。しかし、サムスンは日本企業よりもかなり高い成長を好況期にできるのである。
不況期には、落ち込みは覚悟するが、競争相手よりは小さな落ち込みを狙う。しかし、そこで投資をするから好況期がきたときの成長率を市場平均より高くできる。つまり、縮むときは産業平均より少しよく、伸びるときは平均よりもかなり高い。これを私はジャンプアップ作戦と名づけた。不況期に力を蓄え、好況期に一気にジャンプするのである。
これを好況・不況のサイクルがくるたびに何回か繰り返していると、自然に市場シェアが高まっていく。ついには、トップ企業を追い落とせる。問題は、このジャンプアップ作戦を取れるだけの、戦略的地図と投資余力、そして経営者の決断が企業の側にあるか、である。80年代末から90年代半ばのサムスンには、明らかにそれがあった。そして、その同じパターンを液晶でも実行し、そこでも成功したのである。
この作戦をジャンプアップ作戦と私が名づけたのは、じつはサムスンの戦略を分析したときではない。70年代後半から80年代前半にかけて、日本の半導体メーカーがメモリーの世界でアメリカの半導体メーカーを追い落としていったときの戦略を分析したときである。つまり、半導体でのジャンプアップ作戦の元祖は日本企業なのである。
それを私は半導体産業の日米逆転を分析した本で書いた。88年のことであった。その本はすぐに韓国語に翻訳された。90年代前半にサムスン電子のトップとお会いしたときに、流暢な日本語で「先生のあの本は大変参考になりました」と言われたことを覚えている。