鳩山政権の迷走、韓国の追い上げ、中国の成長──。日本はいま世界の中で漂流している。戦後の復興と高度成長を象徴する本田宗一郎氏。筆者は彼の夢の描き方から、日本に必要なのは「リアリティのある夢」を描くことであると説く。

「坂の上の雲」がいまドラマ化される理由

このところ、日本政府も日本企業も、世界の中で漂流している感が強い。

鳩山由紀夫首相の足元のふらついた印象のある外交関連発言のせいでそう感じるのかもしれない。あるいは、事業仕分けという、意味もありそうだが、しかし世間向けのパフォーマンスに見えることが大きく取り上げられ、じつは成果が実際には小さいのを報道で見させられているからかもしれない。

そのうえ、多くの日本企業の動きも、漂流気味に見える。韓国に追い上げられ、中国の成長に驚き、しかし自分たちは日本に閉塞しがちである。内向きである。世界の中で、何を目指して、どこへ行きたいのか、何を心棒にしようとしているのか、それがはっきりしない企業が多いようだ。

その一方で、「坂の上の雲」だの「龍馬」だの、日本という国が一丸となって何かを目指していた明治維新前後の時代へのノスタルジーが社会のあちこちに見られる。あるいは、戦後の復興期や高度成長期、国民挙げて無我夢中な努力をしていた時代へのあこがれも感じる。私はいま本田宗一郎さんの伝記を書こうとしているが、その資料調べのプロセスで本田さんに関する本がこの3、4年の間にかなり多く、復刻あるいは新規出版されていることに気がついた。本田宗一郎さんが亡くなられたのは1991年、すでに18年も経っているにもかかわらず、である。現在の日本社会が、第二の本田宗一郎を渇望しているのかもしれない。

戦後のバラックの中で本田宗一郎さんが浜松の町工場・本田技研工業を創業したのは、48年。そして、創立25周年記念を潮時に、すっぱりと社長から退任したのが、73年。オイルショックの直前だった。それは、日本の高度成長が終わり安定成長期へと移る、まさにそのタイミングだった。本田宗一郎さんは、戦後の復興と高度成長を象徴するような企業人だったのである。彼の社長退任後、ホンダは戦後生まれの企業として売り上げ1兆円を超す初めての企業となっていく。

日本の現在の漂流の理由には、いくつか根の深いものがありそうだが、少なくとも一つ言えるのは、リアリスティックな夢を描けていないからであろう。夢が描けないから、大きな未来へ前向きになれない。人々のベクトルが一致することがない。たしかに夢を描く人はいる。しかし、そこに何がしかのリアリティがなければ、人々はそれを目指して動き出さないだろう。

リアリスティックな夢とは、自己矛盾のような表現である。夢とは、いまある現実とはちがう、「非現実」だからこそ夢なのである。それがリアリスティックであるというのは、一見、矛盾するが、しかしありうる話である。いまの現実を超える距離の適切さ、その非現実さの案配のよさ、とでも言おうか。