「アメリカと肩をならべて頭なし」

復興と高度成長の時代には、あるいは明治維新の時代には、じつは夢の源泉がなかば外在的に存在した。それに近づくことが夢になりえた時代である。つまり、まず追いつこうとする夢である。そして、できれば追い越したい。それは逆に考えれば、追いつくべき存在が外国にあったということである。つまり、現実にすでに外国に存在する状態なのである。だから、一面のリアリティはある。

明治日本にとっての欧米列強、戦後の本田宗一郎にとっての世界一のオートバイメーカーは、いずれも現に自分の前に存在していたのである。

しかも、当時の現実の状況のひどさがその夢へ向かって走るエネルギーを供給していた。いわば、ハングリー精神により前へ向くエネルギーが出ていたのである。夢がかりに実現しなくても、一歩を踏み出すことで現状がよくなれば、それは大きなプラスと感じられたのである。

本田宗一郎が世界一になろうと言い出したのは、49年、創業の翌年だという。それは、同じ浜松出身の水泳の古橋広之進が自由形1500メートルで世界新記録を打ち立て、日本中を熱狂させた直後だったそうだ。「古橋にできることなら、自分もぜひ世界一を目指したい」と思えたのであろう。いわば、彼なりにリアリティがあったのである。

いまの中国を見ていると、まさにリアリティのある夢が国全体の駆動力になっているように見える。そのうえ、長い抑圧時代があったせいであろうか、豊かになりたいというエネルギーが強烈にある。戦後の日本となぞらえる人がいるのも、当然であろう。

しかしいまの日本がその中国のようになろうというのは、できない相談である。日本は成功してしまったからである。後ろから自らを追い立てるようなエネルギー源はもはやない。そのうえ、いまは、先を行くランナーというリアリティのある夢がない。世界一となったトヨタの迷走が、GMを実質的に追い越して世界一となった2007年頃から始まったのは、その象徴なのかもしれない。