最後に、(3)について。

幕末・明治維新期にL・クニフラー商会が日本で事業活動を行っていたころには、時節柄、武器の輸入販売のウエートが高かったが、基本的には、日本で売れるもの(日本が必要とするもの)は何でも売るという姿勢であった。しかし、社名がC・イリス商会に変わったころから、ドイツを中心とするヨーロッパのメーカーの製品を日本市場に売り込むことに、事業の焦点を絞り込むことになった。事業発展の原動力は、日本市場の旺盛な需要からヨーロッパ(ドイツ)・メーカーの製品の競争優位にシフトしたことにあり、C・イリス商会が、日本での設立→ドイツへの本社移転というユニークな発展プロセスをたどった理由は、このシフトに求めることができる。

C・イリス商会が明治期の日本で請け負った代表的な仕事としては、皇居の鉄製二重橋の設計・施工をあげることができる。86~88(明治19~21)年の鉄製二重橋の建設は皇居の造営の一環として実施されたが、皇居造営は、日本が、近代国家としての基盤を確立したことを象徴する出来事であった。その一部である鉄製の二重橋という記念碑的な建造物の設計・施工に、C・イリス商会は全責任を負ったのである。

その鉄製二重橋の建造に限らず、C・イリス商会は、日本の近代化へ多面的に貢献した。別表は、その概要をまとめたものである。

この表からわかるように、C・イリス商会が日本の近代化に果たした役割は、相当に大きかったと言える。とくに、橋梁の建設、鉄道の敷設、水道の整備、港湾の拡充などインフラストラクチャーの構築の面で、その貢献度は高かった。皇居の鉄製二重橋だけでなく、多くのエポックメーキングな建造物の設計・施工・機材納入に、C・イリス商会は関与した。また、日本の産業革命を牽引した代表的な新鋭工場の建設にC・イリス商会が貢献したことも、注目に値する。

先に述べたように、幕末~明治期の日本では、近代化へ突き進むダイナミズムが、強く作用していた。近代化の中心的な担い手となったのは、もちろん日本人自身であるが、同時に、L・クニフラー商会ないしC・イリス商会で活躍したドイツ人商人たちのように、旺盛な企業家精神を持った外国人商人たちが展開した事業活動も、日本の近代化を促進する要因となったことを忘れてはならない。

以上述べてきたように、イリスの前身であるL・クニフラー商会ないしC・イリス商会は、幕末・明治維新期の日本に存在したビジネスチャンスを正確に見抜き、旺盛な企業家精神を発揮して事業上の成功をおさめるとともに、日本の近代化にも少なからず貢献した。このような黎明期イリスの事業活動から、今日の日本企業が学ぶべきことは多い。