世界同時不況からの脱却をめざす日本企業。進むべき道は新興国に存在するビジネスチャンスを正確に見抜くことにある。150年前、幕末開港時の日本にやってきたドイツ人商人たちの心意気に、筆者はその手本を求める。
日本生まれのドイツ商社「イリス」とは
今年は、日本がアメリカ・イギリス・オランダ・ロシア・フランスとのあいだに締結した通商条約(いわゆる「安政五カ国条約」)によって、横浜・長崎・箱館(現在の函館)が開港してから、ちょうど150年目に当たる。開港150周年を祝してこれら三市ではさまざまな記念行事が行われたが、その一環として、横浜美術館では、4月から6月にかけて、「イリス150周年──近代日本と共に歩み続ける或るドイツ商社の歴史」と題する企画展が開催された。
イリス(C.ILLIES & Co.)は、ハンブルクの本社を中心にして、世界各地に販売組織を展開する、ドイツの中堅商社である。そのイリスを横浜美術館が開港150周年記念事業の一環として大々的に取り上げたのは、1859(安政6)年の横浜開港と同時に最初に開業した外国商社が、イリスの前身に当たるL・クニフラー商会だったと言われているからである。
イリスの日本法人であるイリス(東京都品川区上大崎)は、つい最近、50年ぶりとなる企業史として、『イリス150年 黎明期の記憶』を刊行した。筆者(橘川)は、縁あって、同書の原稿執筆を担当した。この小稿では、日本生まれのドイツ商社というユニークな成長過程をたどったイリスの明治期の歩みについて、光を当てる。その歩みからは、現在の日本企業が進むべき道に関する有用な示唆を導くことができる。
イリスは、横浜・長崎・箱館が開港された1859年7月1日、L・クニフラー商会として、長崎で設立された。L・クニフラー商会は、設立と同時に横浜でも事業を開始した。L・クニフラー商会は、経営者の交替を受けて、80(明治13)年に、商号をC・イリス商会へ変更した。C・イリス商会が本社を日本からドイツのハンブルクへ移したのは、98(明治31)年のことである。
このようにイリスは、日本生まれのドイツ商社というユニークな成長過程をたどったが、その前身であるL・クニフラー商会ないしC・イリス商会の明治期日本における事業活動に関しては、次の3点が問題となる。
(1)幕末・明治維新期の日本では、外国人商人にとって、どのようなビジネスチャンスが存在したのか。
(2)L・クニフラー商会ないしC・イリス商会は、幕末~明治期の日本市場で、どのように事業上の成功を実現させたのか。
(3)C・イリス商会が、日本での設立→ドイツへの本社移転というユニークな発展プロセスをたどったのは、なぜか。