「株主価値の向上」「顧客満足度アップ」といった漠とした目標を掲げても、行動にはつながらない。重要な戦略の「意味」を組織に浸透させ、必要な変化を起こすための伝え方とは?

 

要約しただけの言葉は人の心に届かない

せっかく賢明な戦略を立てても、その戦略が概括的な漠然とした言葉で表現されるために効果があがらないという現象が、往々にして見受けられる。「顧客の喜びを実現!」「効率ナンバーワンの企業に!」「株主価値の向上!」等々、経営幹部は曖昧な言葉で戦略を打ち出すことが多い。

経営幹部がこのように曖昧な戦略表現を多用するのは、ひとつには、「知識の呪縛」と呼ばれる現象のためだ。彼らは長年にわたりビジネスの論理や慣習にどっぷり漬かってきている。そのため、抽象的に語るときには、頭の中にある膨大な具体的データを単純に要約するのである。

ところが、現場の社員たちは、要約された表現の奥にある深い意味には通じていないため、表層の漠然とした語句しか聞き取らない。その結果、唱えられている戦略は彼らの心に残らないことになる。

 

一度知ってしまったらその知識に縛られる

1990年に、エリザベス・ニュートンという名のスタンフォード大学心理学部の大学院生が、被験者に単純なゲームをさせる実験によって「知識の呪縛」を証明した。彼女は被験者を「タッパー(叩き手)」と「リスナー(聞き手)」の2つのグループに分け、1人ひとりのタッパーに、「ハッピー・バースデイ」のような誰でも知っている有名な曲を選んで、テーブルを叩いてその曲のリズムを刻んでくれと頼んだ。リスナーの仕事は、その曲の題名を当てることだった。

実験が終わるまでに120曲が出題されたが、リスナーが題名を正しく言い当てたのは、そのうちのわずか3曲だった。正答率は2.5%にすぎなかったのだ。

実はニュートンは、リスナーが答える前に、彼らが題名を正しく言い当てる確率をタッパーに予測させていたのだが、その予測ではリスナーが正答する確率は50%とされていた。タッパーは、実際には40回に1回しか自分の頭の中にある曲を伝えることができなかったにもかかわらず、2回に1回は伝えられるだろうと予測していたのである。

その理由はどこにあったのか。テーブルを叩くとき、当然のことながらタッパーの頭の中には、自分の刻むリズムに合わせてその曲のメロディーが流れていた。それに対し、リスナーの耳に聞こえたのは、奇怪なモールス信号のようなものだけだった。それなのにタッパーは、リスナーが題名を言い当てるのにこれほど手こずったことにひどく驚いたのである。

問題は、何かを──たとえば曲のメロディーを──いったん知ってしまったら、それを知らない状態を想像するのはきわめて難しいということだ。知識がわれわれを「呪縛」するのである。われわれが自分の知っていることを他人にうまく伝えられないのは、相手の心的状態を容易には想像できないためなのだ。