リーダーシップの育成は忌避された

一方、日本の教育にはリーダーシップという言葉さえ出てこない。戦前の軍部独裁がオーバーラップするのか、戦後の民主主義教育にリーダーシップはなじまないものと忌避されてきた。

人をその気にさせて集団で期待成果を出すのがリーダーシップである。それを教える立場からすれば、リーダーとして知っておくべきこと、やってはいけないこと、困難な状況での意思決定の仕方など、さまざまなノウハウがある。そうしたリーダーシップ教育を受けていないから、日本の経営者や管理職は(最近は首相までもが)、急場に強い指導力が発揮できない。

たとえば中国に進出して現場のトラブルに苦慮している日本企業は多い。現場の言い分を一生懸命聞いてあげるのがマネジメントの務めなどと言っていたら、中国人は嵩にかかって言い寄ってくる。日本人は全員の言い分を移動平均して答えを出すことしかできないが、百家争鳴の中でもピシャリと方針を打ち出し、皆を納得させ従わせるのが本当のリーダーシップなのである。

インドはもっとすごい。インド人は理屈っぽいから、何から何まで「なぜだ?」と聞いてくる。理由をきちんと説明すれば彼らも納得して動く。しかし日本人は、「つべこべ言わずにやれ」という言い方しかできない。だからトラブルになる。日本企業でインドに進出して成功した例は極めて少ない。シェアナンバーワンをキープしているスズキにしても、何回もストライキを経験、また理不尽な政府とは闘って、今の地位を築いたのである。

海外進出した日本企業の悩みは、いい人材が採れないことではない。いい人材が採れても、こちらが使い切れないことだ。また使い切れる人材ばかり雇っても会社は大きくならないというジレンマに多くの企業が陥っている。リーダーシップ教育を欠いてきたツケは、こうした面にも表れてきている。

ところがアメリカは違う。8月末のアメリカ民主党大会で大統領候補に指名されたバラク・オバマ氏の演説や、ミシェル夫人のスピーチを聞いていて、リーダーが発するロゴス(言葉)の力を痛感した。オバマ氏と指名を争ったヒラリー・クリントン氏の応援演説もプロフェッショナルで涙モノだったが、もっとすごかったのが夫ビル・クリントン元大統領の演説だった。