華やかなCA職の大きな弱点
高田さんは2007年、34歳の時にCAになった。以前は、ワーキングホリデーで2000年からニュージーランドに住み、語学学校や乳製品輸出会社で働いていた。「英語力も足りなかったし、学生の頃の自分には到底なれない職業」と考えていたが、応募のチャンスを待っていたCAの求人を見つけ、条件を満たしていることを知り、挑戦してみることにした。
働きながら磨いた英語力もあり、見事合格した。今は現地で永住権を取得し、ニュージーランド人と結婚した。夫、娘、息子と4人で暮らしている。
CAは会社の広告塔だけでなく、時として国を代表する広報部隊になる。イベントにアンバサダーとして参加し、メディア向けのモデルを務めることもある。
だが、脆さもある。これはエアラインの宿命だ。
エアラインはイベントリスクに弱い。2001年の米国同時多発テロ、2003年のSARS、2008年のリーマンショックでは、世界中で航空旅行者が激減した。今回の新型コロナは、それを上回る史上最大のイベントリスクになった。
「まさか自分のことになるとは」
3月下旬、ニュージーランド政府の外出制限は、最高位のレベル4に引き上げられた。一切の外出ができない状況だった。日本では緊急事態宣言の発出前のことである。
ニュージーランド航空CEOは、現状報告と事業規模を3割削減する計画を社員にメールで通知した。全社員1万2000人のうち、約30%にあたる3700人をリストラする内容だった。
上司や組合からも、段階的に社員が減らされる説明を受けた。自主退職、無給休暇のほかパートタイムへの変更などを行い、その後解雇者を増やしていくというものだった。高田さんは「こんなに早く会社が人員削減に着手するとは信じられませんでした」と振り返る。
4月中旬。会社からの電話で、高田さんも解雇が言い渡された。予想外だった。
「まさか自分のことになるとは思っていませんでした。その時は頭の中が真っ白になりました」
客室乗務員をリストラでスリム化し、高田さんの役職も無くすと聞かされた。当時は欧米への路線ははまだ通常の運航をしており、アジアでは中国と韓国の路線が運航停止になったばかりだった。まだ日本線は残されている。そんな中での解雇通知だった。