「逃れられない恐怖」がやってくる
食品や化粧品に異物が混ざれば、膨大な品物の回収作業だけでなく、すべてのラインの点検が必要になる。まして航空機の場合、ビス一つでも紛失すれば、点検作業は際限がない。
1年ほど前に、修理工場から機密扱いの部品が盗まれるという事件があった。その時の捜索、点検、各機関への報告、謝罪に加え、再発予防の会議や現場確認、各種書類作成などに莫大な時間を費やした。
当時修理のリーダーであった彼の睡眠時間は極限まで削られ、以前にも増して、おびただしい数の監視カメラが取り付けられることになった。
持続する緊張と慢性的睡眠不足が、彼の精神を崖っぷちに追い込んだ。しかも、この地獄から、にわかに逃げ出す術がなく、彼はパニック発作を伴う消耗性うつ病と診断された。
パニック発作は単独でも起こるが、病理的にはうつ病とあまり変わらず、うつ病と併発することが多い。こういう人は、飛行機どころかおちおちエレベーターや電車にも乗れない。
医学用語では「広場恐怖」というが、にわかに逃げ出せない場所にいると、自律神経の大混乱が起きるのだ。反対に速やかに逃げ出せる場合は、パニック発作は起きない。
文明社会に生きる人は交通手段として飛行機や電車に乗ることを免れない。
そもそも、かのまじめな整備士は会社から逃げられるであろうか。彼は飛行機だけでなく、会社から逃げられないため、出社しようとするだけでパニック発作を起こすようになってしまった。
文明とはさまざまなルールを決め、そのルールに従うことで安心安全を保障するものである。その一方で過度の安心安全の追求が、人々を逃げられない場所に縛りつけ、パニック発作を伴う消耗性うつ病へ追いやるのではないか。私にはそう思えてならないのだが。
「新人指導が厳しすぎます」
結婚式場で働く40過ぎの女性が沈んだ面持ちでやってくる。
勤続15年のベテランで長らく新人の教育係を任されてきた。しかしある時、30歳くらいの新人女性に研修をしたところ、その新人がすぐに辞めると言い出した。彼女の指導が厳しすぎて到底ついていけないと彼女の上司にメールで訴えたのだという。
彼女は上司に呼ばれ、パワハラで訴えられかねないからと新人教育の役職を外された。
今まで何のトラブルもなくやってきたことのどこが間違っていたのか。納得がいかなかったが、上司はもう時代は変わったのだと彼女に告げた。
会社のため長年、真面目に努力してきたことへの評価の言葉もなかった。問題化を恐れる上司から注意を受けた彼女は自信を喪失し、ひどく落ち込み、うつ状態となった。
不本意でも会社を辞めるわけにはいかない。ずいぶん前に離婚しており、一人息子の教育費のため必死で働かざるを得ず、母親の介護を兄や妹に代わってやっている。
その疲れから少々いら立っていたかもしれない、と彼女はいう。
PC関連の資格を持つ新人は、事務職に就くことを望んでいたが、彼女はまず、自分が新人だった時と同じように会場の整備やテーブルの配置、式に必要な小物の準備などについて指導した。そのことも新人女性には大きなストレスになったようだ。
いったい、それを時代が変わったとは、どういうことだろうか。