一方の李登輝氏も、一時は私のアイデアに興味を抱いたようだが、いつしか「一党独裁で、民主的な選挙で選ばれたわけでもない人間が正統性もなく統治している中国とは付き合えない」と言い続けるようになってしまった。晩年は民進党を応援したり、国民党の馬英九のときには支持を表明したり、かなり立ち位置がぶれた。
物別れに終わった両岸会議の後、私が李登輝氏に提唱したもう1つの重要なコンセプトが「タイワン・アズ・サッチ(あるがままの台湾)」である。国連復帰などより、台湾をピカピカに磨く。これに専念して世界中から尊敬されるようになれば、付き合ってくれる国も自然と増える。
李登輝氏は2つすごく大事なことをした
あるがままの台湾を磨くという意味で、李登輝氏は2つすごく大事なことをした。1つ目は新竹市に半導体製造のTSMCやUMCといったIT関連の企業や工場を集中させて、「台湾のシリコンバレー」と呼ばれる企業集積地をつくり上げたことだ。台湾のハイテク産業が強くなった最大の要因である。
2つ目は大学院の工学部や理工学部に進んだ人材の徴兵制を免除したこと。それまでは台湾の大学も日本と同じように文系の学生が多かったが、徴兵制免除で理系に進む男子学生が一気に増えた。結果、IT人材は急増して、台湾のハイテクはさらに加速した。続々とアメリカの有名大学の理工系に留学するようになり、彼らがそのままアメリカに居着いて、ポータルサイト大手Yahoo!や、今や人工知能などで活用されるGPU(映像解析用プロセッサー)で最先端をいくNVIDIAなどを起業したのである。
あるがままの台湾を磨く優秀な人材を絶え間なく輩出できるようにしたことが、実は李登輝氏の最大の功績ではないかと私は思う。
今回の新型コロナウイルスへの対応でも台湾が世界中から称賛されたことは、いい餞にもなった。偉大な思索家であり指導者であった総統の大往生に接し、謹んで哀悼の意を表します。