最初に送り込まれたのは大手小売業出身者。しかし、業務の標準化や分業化がすでに進んでいる出身会社の思考回路、ついでにいえばサラリーマン思考からも抜け出せず、再生は1歩も進まない。これでは埒(らち)があかないと次に指名されたのが岩本だ。西武百貨店から外資系コンサルティング会社を経て、フューチャーアーキテクトに転職した岩本は、「ウオエイを再生せよ」のミッションを受け、2007年8月、単身赴任で新潟の地に乗り込んだ。

「地方のスーパーマーケットはどこも厳しい状況にありますが、中でも新潟の競争は日本一。そこで再生できたら、これは1つのソリューションですよ。全国どこにでも通用する。地方の企業、ひいては地方経済の活性化に役立てることができる。ウオエイは、地域に根ざした企業改革を実践していく第1弾の試みなんです」

パートにも見放される始末

新潟駅から車で本社に向かう道すがら見かけたウオエイの店は、お世辞にも活気があるようには見えなかった。地方にはこうしたスーパーは珍しくない。くたびれた外観、色あせた看板。活気とは縁遠い店、といったら言い過ぎだろうか。外から見ただけだが、地方企業再生のソリューションを確立するという目標など遙か銀河系の彼方、という印象を受けた。

後でわかったが、岩本の改革は段階を踏んで行われており、私が見た店はまだ改革前。1番小さな店舗で、閉じるか生かすか、まだ結論は出ていないという。ということは、あの店は、岩本が改革を行う前のウオエイの姿だったわけだ。

「再生」という壮大な目標を掲げて乗り込んだ岩本に、ウオエイはどのように映ったのだろうか。

岩本は苦笑しながらこう言った。

「ここにきてわかったのは、理論だけじゃダメだということ。ウオエイが抱えているのはシステムとか仕組み以前の、もっと根本的な問題でした」

岩本が目にしたのは信じられないような惨状だった。客数は減少し、売り上げは落ち込み、社員の気持ちはバラバラ。沈みかかった船からネズミが一斉に逃げ出すように人材の流出がやまず、中軸となる30代、40代の社員が不足し、ベテランの店長はいない。売り場は荒れ放題で、パートの女性には「ここでは買い物したくない」と言われる有様。映画『スーパーの女』に登場した、宮本信子が改革する前のスーパー正直屋とまったく同じ構造である。