「タワレコ」の愛称で親しまれるタワーレコードは、1979年にアメリから日本に進出した大型CDショップだ。広大な売り場、旧譜を含む豊富な品揃え、店頭を飾る巨大ディスプレイ、大小の手書きPOP、頻繁に開催される店内イベント、愛読者の多いフリーマガジン。店内を彩る「タワーレコードらしい」演出で音楽フリークをつかみ、上陸から約30年が経過したいま、日本の音楽シーンを支えリードする存在に成長した。
もっとも、本家本元のアメリカのタワーレコード(MTS社)はもう存在しない。業績を落とし規模が小さくなったのではなく、文字通り消え去ったのだ。
日本を含む世界17カ国に進出し、店舗網を拡大していたMTS社の業績は90年代後半から悪化の一途をたどる。苦肉の策として好調な日本法人を売却したが、もはや焼け石に水。さらに業績が低迷し、2006年には破産申請に追い込まれ、全米の店舗はもちろん、東南アジアや中南米に構えていた店もすべて閉鎖を余儀なくされた。
日本のタワーレコードも同じ道をたどったとしても不思議はなかったが、2002年にはMBO(マネジメントバイアウト:経営陣買収)によりMTS社から独立を果たしていたため、本社の経営破綻にはまったく影響されなかった。MBOはアメリカの経営不振を受けての判断だったというが、当時の経営陣の先見の明には感服する。
現在でも、アイルランド、イスラエル、メキシコなどでタワーレコードは存続しているが、一番元気に輝いているのは日本である。
日本のCD市場は、ピーク時(98年)の半分程度の規模に冷え込んでいるが、市場の縮小などタワーレコードにはどこ吹く風。店舗数を増やし、快進撃を続けてきた。70年代後半から80年代にかけて、欧米からさまざまな流通業が日本にお目見えしたが、残っているのはスターバックスなど数えるほどだ。タワーレコードがここまで成功するといったい誰が予想しただろう。
と、実に元気な日本のタワーレコードだが、2007年経営陣を一新した。トップに新しく迎え入れられたのは高木哲実(たかぎてつみ)。西武百貨店で営業政策、経営企画、サプライチェーンマネジメント、情報システムに携わってきたバリバリの百貨店マンに課せられた役割は何か。
高木は言う。
「リテイル(小売り)部分の立て直しを図ってほしい。とにかくリテイルをしっかりと強化成長させてほしい。関係者にこう言われました」