落球が人生につきまとい続ける
もう高校野球とかかわりはなくなったはずだが、それでもあの落球は加藤につきまとった。
入行1年目の夏、まだ野球部にいた頃のことである。銀行の先輩と外の食堂に昼食を食べに行くと、ちょうどテレビで甲子園大会を放映しており、隣の席の客がテレビを見ながら大声で言った。
「そういえば去年の甲子園、星稜はあのファーストのボケがなあ、ミスしよって勝てる試合を失うたなあ」
入行して1年後、加藤は銀行を辞めた。野球をするために入行したから、退部した以上、そこで勤めることに意味を見出せなかったからだ。
社会人になってもマスコミは容赦なく落球についての取材で加藤を追いかけてきた。高校野球の特集号や本が作られると、決まって取材の依頼が来る。彼は吹っ切れたつもりでいたが、インタビューが記事になるたびに、苦い思い出がよみがえった。
箕島の監督が叫んだ「加藤捕れ!」
箕島と星稜の“再試合”が行われたのは、平成6年11月26日、和歌山県紀三井寺球場だった。あの試合から15年後、選手たちは30代前半になっていた。当時のメンバーが集まり、もう一度戦う。実は星稜ナインは個人的な付き合いは別として、卒業後に皆で集まるのは初めてだった。このときから箕島の選手も含めての交流が始まった。
試合は軟式野球で7回制で行われた。7回裏の箕島の攻撃で、マウンドには急遽星稜の監督の山下が上がった。箕島の打席には代打尾藤が入った。二死一、三塁で、星稜が2対1で勝っていた。逆転サヨナラのチャンスで両監督の対決。もっとも盛り上がる場面である。
尾藤の打球は、一塁を守る加藤の真上に上がった。マウンドの山下は叫んだ。尾藤も同時に言った。
「加藤捕れ!」
加藤は両手で拝むように捕ると、ゲームセットになった。今度は星稜が勝った。
試合後の懇親会で、尾藤は教え子たちや星稜ナインの前で言った。
「今日は加藤のために乾杯しようや。よく来てくれた」
尾藤に勧められて加藤が立ち上がる。一言話して乾杯の音頭を取った。