初めて自分のプレーを誇ることができた

再々試合から3年後、箕島高校の創立100年記念式典が開催され、式典後グラウンドで、星稜高校OBを招いて親善試合が行われた。そこには報道陣も集まっていた。

その席で、尾藤は皆を前に大きな声で言った。

「今日は星稜のチームが来てくれました。加藤君もいます。私はこの場で加藤君の名誉のために言っておきます。あのときのファーストフライはエラーじゃなく、転倒です」

病気とは思えない、どこまでも響く声だった。そうだ、自分は落球じゃなく、必死にボールを追いかけた末の転倒だったのだと加藤は自分のプレーを誇ることができた。

加藤が最後に尾藤を見たのは、平成22年9月23日の星稜対箕島の再々々試合だった。舞台はあの熱戦を行った甲子園球場で、球審も、プラカード嬢も放送員もあのときと同じメンバーだった。これが最後の記念試合となる。尾藤のがんの症状は悪化して骨盤などに転移し、分刻みで投薬を受けていた。だが当日は車いすに乗って、明るい表情で球場に姿を現した。

「尾藤さんのノックを受けてみたかった」

このとき尾藤は報道陣に「甲子園で一番会いたい人は誰か」と聞かれ「加藤君です」と答えている。尾藤は1回の表裏の指揮を執って帰った。

観客席から拍手が起きると、尾藤は照れ臭そうにそっと帽子の鍔に手を添えて、軽く頭を下げた。

「勝敗を超えた仲間ができた。あの時代に生きることができて本当に幸せだった。そんな試合でした」

加藤はこの日、中学生になった峻平を尾藤に会わせている。彼は翌年から星稜高校で野球をすることになっていた。そんな話をすると、尾藤は微笑んで「こんなに大きくなったのか」としみじみと呟いた。尾藤は翌年3月6日、68歳で天国へ旅立った。

「尾藤さんのノックを受けてみたかったですね。2、3回も会えば、自分の監督のような気持ちになるんですよ。そんな人間の広さのある方でした」

平成25年の夏、峻平は星稜高校の一塁手として甲子園大会に出場、一回戦の鳴門高校戦ではセンター前ヒットも放った。試合には敗れたが、このとき加藤はアルプス席から息子を見守った。