後藤氏にとってプレゼンは、トップとして「プロジェクトを盛り上げていく場」であり、社員に対して「みんなの力で商品ができあがることを認識させる場」であるという。

例えば、一大ブランドとなったアジエンス。2001年、花王は日本のシャンプー市場で70年間堅持したシェア首位の座を日本リーバ(現ユニリーバ・ジャパン)に奪われた。

新ブランド開発プロジェクトが立ち上がる。欧米志向から離れ、アジア女性の美しさを引き出す「アジアンビューティ」のコンセプトを打ち出すと、03年の発売とともに快進撃を続け、トップシェア奪還をもたらした。後藤氏がいう。

「アジエンスのときは非常に危機感があり、早い段階から担当者たちと頻繁に情報交換を続けました。現場がこういうことをやってみたいとか、今こんな状況だから話を聞いてほしいといえば、非公式でいいから1度聞かせてくれと来てもらったり、私が出向いたりした。顔を合わせながら、こうやってはどうか、ああしてはどうかと意見を戦わせる中で1段1段積み上がり、私自身のかかわり方もどんどん強まっていきました」

担当者サイドとしては、いかにトップと顔を合わせ、巻き込んでいくか。ここに、「愚直なまでのまじめさ」を大切にした後藤氏に対し、開発部隊がとった巧まざるプレゼン戦略が浮かび上がる。

世の中にはある連続的な変化が一定レベルに達すると次のフェーズへと転換していく現象が多く見られる。水の沸点などは代表例だ。人間社会でも同じで、ある働きかけや仕かけが一定段階まで積み上がると突然、ブレークする。その転換点をティッピングポイント(臨界点)と呼んだりする。

アジエンスのプレゼンも公式非公式を問わないアプローチが積み上がり、あるとき、トップの中で強い後押しのサインがともった。意識の臨界点を呼ぶ巻き込み、それは異例の決断になって表れた。

発売は03年春に予定されたが、容器に見つかった小さな問題を解決するため、後藤氏は「半年遅らせても完璧なものにしよう」と延期を決めた。状況的に早期投入が求められる中での決断は後藤氏自身、意識面でプロジェクトと一体化していたことを物語った。

宣伝広告費はほかの製品分を削って1点投入し、会社の命運を託す決断を行った。削られたほうは不満を抱き、売り上げが落ちれば、そのいい訳にするかもしれない。リスクを背負った決断はプロジェクトと一体化し、強烈な当事者意識を持たなければできなかっただろう。