名ばかりの「双方向型授業」

オンライン授業における「発信サイド」の問題点とは何だろうか。

この点について、まず、わたしはオンライン授業を配信している塾や講師を問題視するつもりが毛頭ないことを述べておきたい。これは、オンラインの持つ構造上の欠陥であると考える。

知り合いの中学受験塾の講師はオンラインによる双方向型授業に携わっていて、こんな不便さを感じたという。

「授業自体は何とか進行できるのだけれど、困ったのは子どもたちの表情変化が分かりづらいこと。そして、手元が見えないことかな。あと、距離がつかめないからなのか、場を乱してはならないという配慮なのか、授業を良い意味で盛り上げる講師や子どもたちの『脱線』や『不規則発言』がないのも授業の活力を奪ってしまうよね」

今回オンライン授業を経験してみて、わたしが強く感じたのは、授業は塾講師だけが「作る」ものではなく、子どもたちもまた授業の「作り手」であるということだった。

ヘッドセットを身に着けてオンライン授業を受ける男子生徒
写真=iStock.com/allensima
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わたしたち塾講師は子どもたちの発言やその表情の微細な変化を受けながら授業内容の深度を決めていたり、教材やノートにメモ書きするその内容から子どもたちの理解度を推し量っていたりするのだ。

友人の予備校講師は、自分の子どもが中学受験塾のオンライン授業を受ける様子を「観察」していて、こう感じたという。

「子が取り組む様子を見ていたけれど、オンラインはその場の会話をつなげて、そのときどきの思考を問うようなやりとりには不向きですね。発言や質問をしても、結局当てられた子が正解を答えるだけになってしまう。だから、子どもたちの集中力は続かない。講師もやりづらそうで、ちょっとかわいそうだったな」

つまり、「双方向型」とは名ばかりで、発信する側(講師)の「一方通行」に陥りやすいのがオンライン授業の抱える課題であるように感じられたのだ。もちろん、これが数十人を対象にするものではなく、2~3人を相手にする少人数授業であれば話はまた変わってくるのだろう。

学びの「場」が失われるということ

一方、オンライン授業には「受信する側」にも原因がある。とはいえ、これも子ども本人というより「場」の問題である。

それまで学校や塾という学びの環境に慣れ切っていた子どもたちにとって、自宅が急にその場へと変わったことへの心的負担は大人たちが想像する以上に大きい。

心理学者のクルト・レヴィンは、『社会科学における場の理論』(ちとせプレス)で、人の行動はその場のさまざまな要素によって決定づけられ、場が人のモチベーションに与える影響は甚大であると論じている。

これを学校や塾の教室という「学びの場」に置き換えてみると、子どもたちが学ぶことに集中できるのは、「学習環境に集中できる教室」「ライバルとなるクラスメート」「講師による授業」「さまざまな教材やプリント」といった複合的な要素がそこにあるからだろう。また、ライブ授業の前後の時間に声掛けを子どもにするなどのちょっとした触れ合いも失われてしまう。

そうした勉強の環境や、刺激、情報が奪われただけではない。

冒頭の例にもあるように、自宅が学びの場になることで、親の「監視下」に置かれ窮屈さを抱いてしまう中学受験生も多い。

子の学習をモニタリングしている親は子どもの「できる」ところではなく、「できない」ところばかりが気になるもの。子にとってはミスした箇所ばかりを親から指摘されるのはたまったものではない。

そんなこんなで親子関係の軋轢あつれきが生じた結果、学習意欲が減退してしまった、なんていう話はしばしば耳に入ってくる。