声を出せない人たちはどう感じているのか

声を出さない、あるいは声を出せない多くのドイツ人は、いったいこの動きをどう見ているか? 庶民にとっては、懸案は「惑星」ではなく、自分の生活であり、高価な電気自動車はまさに経済的負担でしかない。そのうえ、充電の不便をもろに被ることになるのも、持ち家がない彼らだ。

そもそもドイツでは、都会以外は公共交通が整備されておらず、使いたくても使えない。否が応でも車に依存して生活している多くの人たちは、都会に住む裕福な環境運動家たちの主張に、おそらく不満を募らせているだろう。ただ、環境のためと言われれば、あからさまに反対はしにくいというのが、正直なところではないか。

さらに言えば、ドイツ人というのは、長距離を、しかも高スピードで走ることが当たり前になっている人たちなので、それが制限されることに大きな抵抗がある。しかし、環境運動が異様なまでに盛り上がる今の風潮では、そんなことはおくびにも出せない。

ドイツで「イエローベスト運動」は起こるのか

ちなみに、環境運動が盛んなのは、ほぼ都会に限られている。要するに、中心になっているのは都会のエリートだ。片や田舎の人たちは、大気汚染の問題とは無縁だし、「惑星」のためのデモにシンパシーも感じていないように思う。そもそも高価な電気自動車に買い替えるなど、冗談じゃないと思っているはずだ。しかし、それを口に出せば、環境に対する意識が低いと蔑まれそうで口をつぐんでいる。そういう意味で、国民の間には、車をめぐって大きな亀裂ができている。

フランスで1年以上も続いているイエロー・ベスト運動の発端も、政府が電気自動車促進のため、ディーゼル燃料に付いていた税の優遇策を剝がしたことだった。それに怒った人たちの抗議活動が炸裂し、マクロン政権を追い詰めた。ドイツでも、黙っている人たちが怒り出せば、同じことが起こりかねない。