国の介入で歪められた電気自動車シフト

ただ、その前提で、今、自動車をめぐって起こっていることを見てみると、何か違和感がある。これまでの技術の転換は、自由市場が舞台になって進んできた。しかし、今、遂行されつつある内燃エンジンから電気モーターへの転換は、どう見ても違う。すでにガチガチの計画経済かと思えるほど、国の介入が強くなっている。

本来なら、企業がイノベーションを進める一番の動機は、人助けや惑星の救済のためではなく、企業の利益の向上であるはずだ。利益の追求は、株式会社であるならば、株主に対する義務でもある。

だから、そのために、消費者が求めているものを的確に把握し、開発する。製品価格を下げるために、また、労働効率を上げるために合理化が進む。イノベーションは、需要と供給の自然なバランスのうえに立っていてこそ、水が高いところから低いところに流れるように自然に進む。企業が、社会に容認される健康な姿を保とうとすれば、もちろん、環境や人権なども考慮しなければならない。新しい製品が環境改善にも貢献できれば、それは企業のイメージアップにつながるから、最終的にはやはり企業の利益に資する。

市場の意志とも消費者の希望とも無関係

ところが、EUにおける電気自動車へのシフトを見ると、この自然の動機が希薄で、市場の意思とも、消費者の希望とも無関係なところで、税金の力で強引に進められようとしている。これはまさに、水を低いところから高いところに送ろうとしているに等しく、よほど幸運な偶然が重ならない限り、うまくいかないのではないだろうか。

なぜ、このようなことが起こっているのか? この背景には何があるのか。そして、これらがうまくいったとして、その先にはどのような図があるのだろうか。