ミュンヘンで起きた「黒い九月」事件
【佐藤】ここで過去にさかのぼって、どんなテロ事件があったのかを振り返っておきましょう。
まず、真っ先にあげなければならないのが「黒い九月」事件です。1972年の8月から9月にかけて当時の西ドイツで開催されたミュンヘン・オリンピックでは、パレスチナの武装集団「黒い九月」が、選手村のイスラエル選手団宿舎を襲撃し人質事件を起こしました。
【手嶋】スティーヴン・スピルバーグの『ミュンヘン』という映画にもなっています。選手とコーチ11人を含む12人が命を落としています。あれは、とても複雑で多義的な事件でしたね。
【佐藤】こうしたケースでは、それまではテロリストの標的になるのは、開催国でした。ところが、「第三国」に対するアピールの場として、西ドイツのミュンヘンで行われたオリンピックが舞台として使われました。
【手嶋】西ドイツの情報・捜査当局にとっては、完全に想定外、ノーマークだったのです。当時はドイツ当局の対テロ対策自体が、警察の警備活動の域を出ていなかった。そのため、テロリストの襲撃を許し、人質も救えないという、惨めな失敗を喫することになってしまいました。
誤爆で殺された無辜の人々
【佐藤】東京オリンピックに当てはめてみれば、カシミール問題で対立するインドとパキスタンの過激派が日本でテロを起こすなどとは誰も想定しないと思いますが、現代ではいかなる事態も起きるのだと肝に銘じるべきです。
【手嶋】ミュンヘンの「黒い九月」事件では、犯人側も8人のうち5人が死亡し、3人が西ドイツ当局に逮捕されました。イスラエル政府は「自分たちに始末をつけさせろ」と犯人の引き渡しを強硬に求めたのですが、西ドイツは拒否しました。
イスラエル政府は黙ってはいませんでした。報復としてシリア、レバノンのパレスチナ解放機構(PLO)の基地を空爆します。さらに、当時のイスラエルのゴルダ・メイア首相が、極秘の委員会を組織し、「黒い九月」のメンバーを次々に暗殺していったのです。首相の命令で殺害の手を下したのはモサドの特殊部隊でした。
【佐藤】『旧約聖書』の「目には目を歯には歯を」という報復法の世界でした。それらの作戦の過程で、誤爆で殺されてしまった無辜の人々もいました。