コレラ船を季語にした江戸っ子の茶目っ気

ところで、コレラ船という言葉をご存じでしょうか。ウィキペディアによると、「コレラ患者が出た場合、検疫のために40日間沖に留め置かれる。この船を俗に『コレラ船』と呼び、これは当時の俳句や川柳で夏の季語にもなるほどだった」とあります。

実際、高浜虚子の句に「コレラ船いつまで沖に繋(かか)り居る」というのがあります。つまり「コレラにかかると船で隔離される」という医学的措置が季語になるほど、コレラ船は風物詩化していたのです。

言い換えればこれは、怖いはずの疫病を日常の風景に落とし込むことで、その恐怖感を分かち合って分散しようとしたと言えるのではないでしょうか。いわば恐怖感のシェアであり、怖さの頭割り。その根底にやはり江戸っ子の茶目っ気が見え隠れします。

コレラ船を季語にして“ありきたりの景色”にしてしまえば、誰がコレラにかかってもおかしくないし、罹患した人を揶揄やゆしたり、またその関係者も含めて差別したりするような雰囲気はなくなるはず。そう考えると、あらためてコレラ船を季語にした先人たちの英知に感心させられます。

さらに調べてみますと、天災や人災の宝庫だった安政期には、江戸の寄席の数が170軒以上にも達したそうです。これはつらい時代だからこそ笑いたいという、庶民の欲求の高まりを示す、何よりの証左のように感じます。

「免疫力」をもっと信じてみる

以上を踏まえてみると、コロナに対して特効薬やワクチンのない現在、一番大切なスタンスは「何事においても寛容さをもって接することではないか」という仮説が浮かび上がって来ます。

社会全体がそもそも持ち合わせているはずの広い意味での「免疫力」をもっと信じてみるべきなのです。人類は、いや、江戸っ子たちはみんな乗り越えてきたのですもの。

「目くじらを立てるのではなく、ああ、そういう考え方もあるのかと許容してみる」

これは結果として自分自身を許容することにもつながるはずです。

こうして振り返ってみますと、困ったり悩んだりした時には、まず歴史を探り、昔の人の考えや行動思いを馳せてみることの大切さをあらためて実感させられます。もっと詳しく知りたくなりましたら、8月発売の私の新刊を買いましょう。そこんとこ、よろしくお願いします。

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