パラダイムシフトを過剰に恐れるな
いささか牽強付会ではありますが、いまより人口の少なかったあの頃に、コレラや地震などで莫大な死者数を記録したことを考えると、当時のほうが人々の不安要素ははるかに大きかったのではないかと想像できます。
そこで、まさに次の本のテーマでもある「過去の先人たちの立ち居振る舞い」をベースに考えてみると、ウィズコロナ、アフターコロナによるパラダイムシフトを、過剰に恐れる必要はないということです。
今回のように「新しい生活様式」を求められる事態は、現代特有の現象ではなく、われわれのご先祖様たちが何度も経験してきたこと。そう考えることで、ストレスを幾分、緩和させることができるのではないでしょうか。
その昔、日本人は罹患するとあまりにもあっけなくコロリと亡くなってしまうことから、コレラを「コロリ」と呼んで恐れました。漢字で書くと「虎狼痢」または「虎狼狸」とし、虎と狼と狸の妖怪が疫病をもたらしていると考えられていたのです。
これは西洋医学が発達していなかった頃の名残ですが、見えない病原菌を可視化して、共通の敵として認識させたことは、江戸っ子の茶目っ気溢れる対処法ではないかと買いかぶりたくなります。それに、なんとなく似ていますよね、コロリとコロナって。
19世紀に確立していたソーシャルディスタンス
そんな江戸っ子たちを安政期に啓蒙したのが、オランダ海軍の軍医ポンぺでした。
ポンぺは来日当初から、清国で流行しているコレラがやがて日本にも侵入してくることを悟り、医学生たちにコレラ防疫法を伝授します。コレラ……いや、これらポンペの活動をきっかけに、疫病対策のための「隔離」という概念が生まれ、さらにはコレラ菌の発見、治療法の確立につながりました。
こうしたポンペの取り組みによって、何度かの流行を迎えながら、日本人はコレラをほぼ鎮圧できるようになっていったのです。
いかがでしょう。過去の経緯を知るだけで、コロナとの向き合い方を学べそうな気がしませんか。
人間、「自分だけが何でこんなにつらい目に遭うんだ」と思うことこそが不幸の始まりではないでしょうか。これは直面する過酷さを1人で背負い込んでしまっている状態です。
そんな時こそ、われわれのご先祖様たちに一瞬想いを馳せてみましょう。
つまり、「昔の人たちも現代人以上の厳しさを乗り越えてきたんだよなあ」と受け止めてみるのです。すると、なんだか気分が楽になってくるはず。それが歴史に寄り添う一番のメリットなのだと私は確信しています。
いや、グッと分かりやすくいうならば「心のお墓参り」でしょうか。ご先祖様たちの偉業に手を合わせてみるのです。
そもそも外出自粛という概念は、フランスの細菌学者パスツールが19世紀に提唱した、疫病に対する効果的な対症療法でした。人類はさらに経験値から隔離という手法を会得したわけで、一定の距離を保つ「ソーシャルディスタンス」という考え方の根本がそこにあります。
私が安政年間とは安倍政権の略ではないかと夢想したのも、あながち的外れではないのかもしれません。