ピュアな問いに答えを示せない
かつて、ビールが「一杯目に飲むもの」で、車は「女の子をデートに誘うために必要なもの」だったように、“そういうものである”という不文律を土台とした消費行為がありました。
しかしそれでは新たな感性を持った若者による「なんでそういうものなんですか?」というピュアな問いに答えを示せない。その結果「若者の○○離れ」が起こりました。
この場合の若者は、「不文律を知らないがゆえに最初に新しくなれる人」とも言い換えられますが、コロナ禍があらゆる人にとって未知の体験だったために、「前提をリセットしたピュアな疑問」を若者以外の世代も抱くこととなりました。
実際、これまで大勢の人が「なんとなくそういうものだから」という理由だけで行ってきたことが瓦解しつつあります。よく考えたら必然ではなかった行為は、「しなくてもいい行為」としてデリート対象になり、今後急速に支持されなくなっていくでしょう。
企業は、自社の提供する商品・サービスや、それに付帯する手続きや購買行動に、「そういうもんだ」という思い込みが混ざっていないか、いま一度まっさらな目で見直す必要があります。
「最初に新しくなる人」から学び、当たり前を再構築する
以上7つの変化を取り上げてみました。すべてに共通するのは、「自分の生活の自由度を、自分で編集しているか」という問いが個々人に改めて強く提示されたということではないでしょうか。
コロナ禍ではこれまでのさまざまな常識が覆されました。その結果、若者たちは「社会が提示する価値観や常識だからといって間違いないとは限らない」ということを学習したと思います。
若者とは社会で「最初に新しくなる人」とも言い換えることができ、われわれはそのような存在だと捉えています。7つの変化は若者のみならず、今後ますます社会全体に広がっていくでしょう。
「主導権はあるけど自由はない」自粛期間が終わり、「主導権は移動したまま自由度も増していく」のがこれからの社会だとすれば、「自分の暮らし向きを自分で編集する必要性」が個々人の中でますます強くなって行きます。
企業がそこに提供できる価値は何か。自社の前例や都合を「そういうものなので」と押し付けるのではなく、フラットに再構築することが問われているのではないでしょうか。