僕の仕事は、ジャーナリスト

【三宅】では、ジャーナリストになる道も考えたのですか?

タレントのハリー杉山氏
撮影=原貴彦

【ハリー】実は僕、肩書きはタレントですけれども、自分のことをジャーナリストとも思っています。自分が書くコラムとか、SNSの投稿とか、本日のようなメディアの取材を通して自分の意見を表に出すことに対し、躊躇はまったくありません。

そのきっかけを与えてくれたのもやはり父親です。僕が自分のキャリアで迷っていた時期に、「書くのもいいけど、カメラの前で話して伝えることも真剣に考えてみればどうだ」と言われて、たしかにそうだよなと。

【三宅】ちなみに子供のころはお父様と一緒に記者会見に参加されていたと伺いましたが。

【ハリー】そうなんです(笑)。父が外国特派員協会の会員だったので、いろんな方々の記者会見に連れていってもらいました。父が手を上げて指名されると「手を上げているのは私ではなく、隣のジャーナリストだ」と言って、僕のことを指す。するとそこには子供がいるので笑いがひとつ取れる。毎回「やめてくれ!」と思っていたんですけど(笑)。

クリティカルシンキングは、批判することが目的ではない

【三宅】前回、パブリックスクールで学んだことのひとつとして、「他人に頼らずに一人で考える力」ということを挙げられていました。これは別名、クリティカルシンキング(批判的思考)ということだと思います。しかし、日本は相変わらず同調圧力が強く、クリティカルシンキングをどう養うかが課題です。この辺りはどうですか?

【ハリー】さすがに多様化がこれだけ進んでいるので、昔と比べたら日本人もよりクリティカルに考えられる時代になってきていると思います。ただし、それを鍛える方法は討論する以外にないと思います。たとえば「納豆は大粒派か小粒派か」みたいな議論は誰でもできますよね。では、なぜそのテーマが政府の政策になったとたん、建設的な議論ができなくなるのか。

【三宅】だいたい感情論か、「いいか、悪いか」の二元論に流れますからね。

【ハリー】ですよね。クリティカルシンキングの「クリティカル」は、日本語では「批判的」と訳されることもあって、人を蹴落とすネガティブなイメージが強い。しかし、クリティカルシンキングとは、お互いを「批評しあって」、その結果、議論を向上させるという意味合いのものだと思います。でも、日本ではジャーナリズムを含め、「お互いを批評しあう」経験をあまり積んでいません。

【三宅】クリティカルシンキングは日本のジャーナリズムに足りませんか?

【ハリー】もちろん、真っ当にジャーナリズムを追求されている方もいらっしゃいます。しかし、政府関係者の記者会見のあとに記者クラブの顔なじみのメンバーがノート片手に集まって、「さっきなんて言ってた?」という具合に発言内容のすり合わせをするような光景をジャーナリズムと呼んでいいのか、とは思いますよね。