コロナと相まって、かねて続いている日本の経済的な凋落の中で、「お金が足りない」という悩みは皆が避けて通れませんし、現在の格差社会の中では否応なく目の前にあるものです。

私が牧師になりたての頃に聞いたある人の苦しみが、今でも頭の片隅に残っています。その人は大きな山や広い土地を持っていたんですが「山と土地が全部取られたらどうしよう、そう思うと不安で心配で眠れない」という悩みを抱えていました。それだけ持っていても「なくす」という喪失体験に怯えて生きるというのは、一体どういうことなのかと思ったんです。

所有欲は際限がない。お金はあってもあっても足りなく感じるものです。ですから、「足るを知る」をどの辺に置くかが大事だと思います。今あるもので満足するということは不可能だけれども、今あるものを、状況を、まずは喜べているかどうかを、このコロナの出来事を通過した後でいいからチェックする。これからの状況を考えると、それは必要なことかなと思うんです。

どんな状況の下でも喜べるものを探す、価値のあるものを探すという作業が、きっと「生きる土台」になるはずです。今自分が持っているものの中で、本当に意味のあるものは何だろう、本当に価値のあるものは何だろう、今生かされている状況の中で何にお金を使ったらいいのだろうと考えていると見えてくるものがあるはずです。

「これが良い」と積極的に思う生き方

ただ、困難な状況下で平常どおり振る舞うのは、簡単ではありません。旧約聖書の『ダニエル書』に登場するユダヤ人のダニエルは、死の脅威に対しても「心の軸」がぶれず、沈着さを保ち続けました。捕囚の身でメディア国(古代イランの王国)のダレイオス王に重用されたダニエルは、それを嫉妬した王宮の官僚たちの計略でライオンのいる洞窟に投げ込まれてしまいます。

MACF牧師 関根一夫氏

しかしダニエルは、ライオンに襲われることなく生き延びました。驚いた王が問うと、ダニエルは「神様が天使を送ってライオンの口を閉ざしてくださいましたので、なんの危害も受けませんでした」と答えます。

おそらくダニエルは自分の力で抗うことができない状況において、もしここで死んでも「それは神がそうさせたことなのだから悔いはない」と納得していたのだと思います。だからこそライオンの洞窟という極限状況でも、恐れることなく心の平穏を保つことができたのです。ライオンを、貧乏やコロナに置き換えてみても同じでしょう。

では、ダニエルのような信仰のない人はどうすればよいのでしょうか。これはあくまで私の考えですが、昔から人は、人らしく生きるために「心の軸」を必要としてきました。その軸に目を向けるのはどうでしょう。たとえば歴史の中で言い伝えられてきたことや、日本人が大事にしてきたことに目を向けるのは、大切だと思います。

原始の信仰は素朴だったと思います。日常そのものが過酷だったでしょうから、家族や仲間と寄り添いながら「今日も、生きていられてよかった」と思うだけで幸せだったはず。命がもたらす喜びを人生の主役にして、今ある状況の中で価値あるものを見つけて暮らしていたのだと思います。「足るを知る」ことを知っていた、と言い換えることも可能でしょう。仕方なく満足するのではなく、「これが良い」と積極的に思う生き方。生きることを喜ぶ「心の軸」があれば、心の平穏を保つことができるのではないでしょうか。