一畳半の貧乏生活でふと気づいたこと
栃木から上京した私が日本大学の哲学科の学生だった頃は、住み込みで新聞配達をしながら学費を稼ぐ貧乏な生活。一畳半の部屋の3段ベッドの1つが生活の場で、毎日が重たい新聞の束との格闘です。生まれて初めてホームシックにかかりました。
全共闘の時代で、キャンパスは荒れ放題。授業を休んで石を投げたり催涙弾を食らったり。でも、クラスで討論会をやったり、「大事なストがあるからみんな参加しよう」と決議しても、「俺、ちょっと夕刊があるからごめん」と抜け出していました。「しょうがないだろ、お金がなきゃどうにもならない」などと言いながら……。
ある日、その部屋で聖書を読み、お祈りをしていたとき、ふと、「神が私たちとともにいるということは、この一畳半の部屋に俺と一緒にいるということなんだ」「この重たい新聞の束を、神は一緒に背負ってくれているんだ」と気づきました。その瞬間、怖いものがなくなったんです。結構タフになりましたよ。この命が生かされようとなくなろうと、永遠の手の中に置かれているような心境。不思議な安心感に包まれる感覚です。それは、気づきがもたらすリアルな体験なのだと思います。そういう「心のしずまり」が今こそ大切なのではと思うのです。
(構成=篠原克周 撮影=的野弘路)