なぜ、日本の権力者とはかくも違うのか

文化の違いなどといってしまえばそれまでだ。“自分の言葉でしゃべる”とは、むしろ率直にしゃべるというほうが当たっているのかもしれない。どんな自意識や恥ずかしさをも超えて、自分のいうことを他人にわかってほしい、そこに何かの関係性をつくりたい。率直さとはこのような意味であり、ここから自分の言葉が出てくるのだと思う。

小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)

橋本副大臣などの、無表情で機械的な、それでいてどこか人を見下したような言葉使いとは次元が異なると思った。自分の言葉でしゃべる、自分を出すということは、自分のなかに積み重ねたものがなければできない技であるのかもしれない。そこにはあきらかに他人が存在しなければならないし、そこにはあきらかに私たちとは異なった文化や歴史が存在しているのだろう。これは私の隔離によって混濁した想像でしかないのかもしれないのだが。しかし副大臣には下を見るか、上を見るか、そのことしかないのではないか、ということだ。

上とは権力であり、権力だけを目指す視線は逆に下を見下す。ここに他人と何かの関係性をつくりたいなどという意識はみじんもない。そこにあるのは主体などというものではなく、欲望だけだ。だから何もない、空白な人間、そんなことをいつの間にかぼんやり考えていた。

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