批判をかわすために乗客を早く降ろそうとしたのか

事実私たちはこの4日間、私たちにとって貴重な散歩もしたし、クルーとも食事を渡される際に接触をしていた。ひょっとすると、厚生労働省は19日下船ということを絶対命題とし、そこから逆算をしてPCR検査を行ったのではないか。その不確定な、ふたたび感染するかもしれない4日間を拭って検査をしたということだ。

なぜこのようなことをしなければならなかったのか。前にも書いたように、海外のメディアの批判がとくに際立っていたのだが、クルーズ船隔離方法の失敗という世の中の批判をかわすために、早く乗客を降ろそうと考えたのではないか。

この日あたりから、アメリカをはじめ各国がチャーター機を日本に飛ばし、自国民を連れ帰ることがはじまっている。この連れ帰るという各国の方針も、日本の隔離方法の失敗というところから出てきたのではなかったか。その際、各国は自国に連れ帰った乗客を改めて14日間隔離という方法をとると言っていた。この方法に厚生労働省も動かされた可能性はある。

船内で隔離しようとしても無駄だった

私たちは20日の日に下船した。下船にあたり「検疫法第5条第一号に基づく上陸許可について」なる文書を受け取り、そこには「上陸後は、日常の生活に戻ることができます」と書かれてあるにもかかわらず、帰宅してからほぼ隔離と同じ、実質外出禁止のような生活を送らざるを得なかった。

地元保健所から毎日、日々の健康状態、体温の質問電話がかかってきて、いわゆる決まり言葉、不要不急の外出を控えるように言われていたからだ。帰宅してから、今度はちょうど14日目に(断っておくが14日以前ではない)保健所によるPCR検査が行われ、翌日陰性と報告され、はじめて本当に自由の身になった。

つまり厚生労働省がなかったことにしたあの4日間が後々まで影響したのではないか。

いやもっとさかのぼれば船でいくら隔離しても、クルーと接触する限り、隔離は無駄だったといえるのだと思う。船での隔離は常に感染の危険と隣り合わせだったからだ。

前に私は「このような矛盾があとになって大きく現れてしまった」と書いたが、それはこの船内隔離が中途半端で、とくにお年寄りにはあまりにも過酷であったこと、また船内でのPCR検査も中途半端だったことであり、いわば隔離方法の杜撰ずさんさ、また途中で隔離の方針がぐらついたことによって引き起こされたものだった。

それが、結局感染者696名(3月4日現在)という数字となって表れた。もっともこの感染者数の拡大は厚生労働省ばかりの責任とはいえない。それ以前にプリンセス・クルーズ社側の責任もあったのだ。