住職が読経するシーンや焼香シーンを、施主がカメラで撮影
栃木県の浄土宗一向寺では、先月下旬の1件の法事をきっかけにして、本堂に急遽Wi‐Fi設備を整えることにしたという。この檀家は平時では、常に親族一同10数人がお寺に集まるような熱心な人々だったが、今年参加できたのは3人のみ。その際、施主からオンライン法事の提案を受けた。
「コロナで来られない親族や、海外にいる親族のために、スカイプを使ってライブ中継してもよいか」
住職が読経しているところや、焼香のシーンを、施主がカメラで撮影したという。
「ゴールデンウィークは普段ならば、子供・孫の帰省に合わせた法事が多い時期です。しかし、コロナの影響で、このところの法事件数は例年の9割減。そんな時に、僧侶仲間や今回の施主さんからオンライン法事の可能性を知りました。オンライン法事があれば万全ということはあり得ませんが、寺側は選択肢として持っておいたほうがよいと感じています」(東好章住職)
確かにオンライン葬式・法事のメリットは、コロナウイルス感染防止に寄与するだけではない。寝たきりの高齢者、足の悪い人、海外在住の親族らも法要に参加することができる。コロナ禍が収束した後も、オンライン法事は高齢化、核家族化社会の中で活用されていく可能性を秘めている。
お葬式をユーチューブの「無料読経動画」で済ませる時代が来るのか
だが、オンライン法事は今後、仏教離れを加速させることも考えられる。先にも述べたが、仏事は僧侶と参列者が同じ空間にいて、共につくり上げるものである。さらに伽藍の雰囲気や読経の臨場感が相まって、神秘性を担保する。先の長野在住の僧侶はいう。
「オンライン葬儀や法事の枠を超えて、そのうち録画配信する寺も出てくるのではないか。録画では、『遺族との思いの共有』は無理でしょう。対面での儀式を基本にしつつ、感染症の蔓延時やどうしても寺に足を運べない人に対してはオンラインで対応するということにとどめないと、宗教儀式のあり方そのものが変わってしまう危険性があります」
読者が気にするのはオンライン葬儀・法事のコスト面だろう。だが、僧侶へのお礼はそもそも定額ではない。「お布施」であるため「出す側が決める」ことになる。今のところ、「オンラインでも儀式をやってほしい」という人は、信仰や供養を大事にしている人が大多数と思われる。リアルでもオンラインでも布施の相場感への変化は、まだ見られない。
新型コロナによる外出自粛の影響で一切の葬儀取りやめとならず、オンライン法要が拡大するのであれば、寺院にとってはある意味ビジネスチャンスなのではないかという指摘をする人もいる。
だが、長野の僧侶が言うように、オンラインでの儀式のその先には、「オンライン葬儀をするのも、ユーチューブの無料読経動画で済ますのもさほど変わりない。だったら、(お布施も不要な)ユーチューブで十分」という風潮が広がっていく可能性も否めない。
こうした「ポストコロナの葬送」の牽引者は、おそらく近年の葬送の簡素化を推し進めてきた首都圏の核家族たちであろう。葬儀業界が彼らのニーズに合わせる形で家族葬や直葬を積極的に取り入れたことで歓迎された半面、結果的に業界の地盤沈下や仏教離れにつながってきた側面は無視できない。
つまりは、これまでリアルな儀式によって支えられてきた「仏・法・僧」がオンライン化によって崩壊しかねない局面にあると言える。私がこれまで指摘してきた「寺院消滅」が、より加速度を増していくかもしれない。
だからこそ、コロナ収束後、宗教空間をいかに元のリアルな儀式の場に戻していくか。その見極めと判断は難しい。私の場合、オンライン法事は依頼があれば拒む理由はないものの、基本的には「静観」の立場でいる。