「外国人の宿泊は今後の予約も含め一切ありません」
「飛行機が飛ばなくてしばらく帰れなかったポルトガル在住のフランス人が4月に入ってチェックアウトしたきり、外国人の宿泊は今後の予約も含め、一切ありません。2月からキャンセルが立て続き、3月には例年の5割、4月は9割以上減になりました」
21世紀に入ってから、2001年のITバブル崩壊と9.11同時多発テロ、2003年のSARS流行、2008年のリーマンブラザーズ破綻に始まる世界金融危機、2011年の東日本大震災など、4年に一度のオリンピック並みに度々訪れた、観光業の逆風となる数々の危機。箱根に関しては、2015年の大涌谷噴火と2019年の台風19号による箱根ロープウェイ運休や宿泊施設への温泉供給停止、箱根登山鉄道の長期運行停止など、自然災害による打撃を度々受けてきたところに、やって来たのが新型コロナウイルスだ。
「うちは全14室のゲストハウスを、家族3人と正社員1人、3人のアルバイトで運営してきました。今は従業員を全員休ませて、私は日本政策金融公庫による特別貸付、雇用調整助成金の手続きといった仕事をしています。今日、金融機関に行きましたが、地元事業者からの融資申し込みが殺到していて、行員は『もうパニックですよ』と、まるでテレビで見る医療現場さながらでした」
2011年には東日本大震災の影響で621万人に落ち込んだ訪日外国人数は、以降8年連続の増加で2019年には3188万人と約5倍に成長。国際観光収入でも2011年の28位から世界のトップ10入りを果たした。約3分の2を来訪2回目以上のリピーターが占めるようになった訪日旅行者は、東京や大阪といった都市部から地方まで足を延ばすようになり、インバウンド経済効果は全国に広がっていった。
ラグビーワールドカップ2019のチケット販売率は大会史上最高の99.3%。全国12会場には欧州やオセアニアなど各国のサポーターが詰めかけ、対戦国のアンセム合唱で迎えた日本人に、外国人は日本流のお辞儀で応えた。直近8年間の軌跡を見てきた私たちインバウンド観光関係者の中に、翌年の東京オリンピックでのさらなる成功を信じて疑うものは皆無だった。
「経済が主目的になると、心がおろそかになっていく」
しかし、35年間この業界に関わる高橋氏の目に映る風景は、少し違ったようだ。
「観光を事業として持続的に経営していくには、売り上げと利益といった経済性は必要です。しかし、経済が主目的になると、心がおろそかになっていく」。高橋氏の言う「心」とは、何を意味するのか。
「東日本大震災で避難して寒空の下を屋外にいた地元の方が、取材に来た米ABCニュースのクルーに、持っていたおせんべいを分けたのです。普段通り客人をもてなすかのような被災者の振る舞いにリポーターはいたく恐縮し、『変わることない日本人の文化、その心を見ました』と世界に伝えました。私たちのところには、これまで泊まったゲストから『家族は大丈夫か?』『うちの国に避難して来い、家に泊めるよ』などとメッセージをたくさんいただきました。お金の力とは異なる、彼らの心の力で私たちは支えられました。
それでも宿泊客がゼロの日々が続き、このままではいつかつぶれてしまう、と思っていたところに、1人のゲストが久しぶりにやって来ました。『毎日来てくれるのが当たり前』だった状況が一変し、たった1人のお客さんが来てくれることに感謝や感動といった感情が入り交じり、妻は思わずその方をハグしてしまいました。震災を経て、もう一度、以前同様に彼ら彼女らを友人のようにお迎えしたい、というもてなしの『心』が私の中で深化したのです」