まだ、早すぎる――。2006年1月、米大リーグ、シアトル・マリナーズで活躍していた長谷川滋利さんが引退を表明したとき、多くの人がそう思ったに違いない。だが長谷川さんは、本書のなかで「『ちょっとは後悔するやろうな』と思っていたんですが、結局まったく後悔していません」と述べている。
引退すると燃え尽きてしまう人は少なくないが、長谷川さんには周到な用意があったからだ。
「厳しいプロの世界で15年もやってこれたので、満足できています。それに中学・高校のときから、野球選手になれなかった場合のバックアッププランを持っていたんです。野球でなければ商社マンになりたかった。
引退した後も、大リーグ中継の仕事はしばらく抑えて、本を読んだり、コーチングを勉強しなおしたり、ウェブサイトを構えたりと忙しかった。野球のことだけでもやっていける自信はありますが、僕は他人とは別の考え方ができた」
プライベートの場でも、仕事のことを考えるのは好きという。
「自分のような人間の場合、仕事と生活を分けたら大成しなかった。イチローくんが特にそうです。身体能力は私と大きく違わないと思うのですが、とにかく練習量が違う。そこまで練習できるのは、野球の好きさ加減が違うからです。好きで得意で社会に貢献できることを仕事にしてうまくいった好例ですね」
長谷川さん得意の英語について、交友のある楽天・三木谷浩史会長兼社長が社内公用語化を掲げたことにはどう感じたか。
「2日前、三木谷さんの計らいで球場を見せてもらいました。僕は英語がわかるからかもしれませんが、特に英語はいらないんじゃないか、むしろ日本人としての魂のほうが大切じゃないかと思います。でも三木谷さんの『やるなら中途半端はやらない』という姿勢は好きですね」
近い将来、「球場併設のショッピングモールを企画、運営したい」という長谷川さん。見据える目標の高さは、野球現役時代のさらに上をいく。