庶民向け都心マンションなんて3密そのものではないか

だが問題の本質はコロナではないのかもしれない。そもそも日本は家庭料理に求めるレベルが高すぎる。欧米のようにパンとハム、サラダやスープ、あるいは冷凍ピザをチンが夕食と認められる社会なら、何もここまで疲弊はしない。「母親が心を込めた丁寧な食事」を自他ともに求めてしまうからこそ、「自粛生活、三食準備がつらすぎる」事態を生み出しているのもいえる。

「住居」問題も大きい。「ステイホーム」が叫ばれる昨今、強烈な違和感を放ったのは、元俳優・政治家のアーノルド・シュワルツェネッガー氏と、日本の安倍首相だ。緑あふれる広大な敷地でロバやポニーと戯れるシュワちゃんに、ワンちゃんを抱っこしながら、星野源の楽曲を聞き優雅にカップを持つ安倍首相。そりゃ、そんなご立派な空間があれば、さぞや在宅も楽しかろう……。

都市一極集中が顕著な日本において、庶民向け都心マンションの狭さは3密そのもの。我が家では、食事も余暇も仕事も宿題もかくれんぼも忍者ごっこも、すべて1ルームで行われている。ちなみにTVは常に字幕表示。シャウトする子どもの声にかき消され何も聞こえないからだ。周囲からも、「在宅“勤務”する場所がない」「寝室で子ども用テーブルで仕事をしていたら、腰を痛めた」「喧嘩を避けたくても逃げ場がない」という声が響いてくる。

私も仕事があるのに、在宅勤務中は寝室から出てこない夫

トドメは「時間」問題だ。大人でも一日を生産的に律するのは大変だが、子どもにそれを求めるのは至難の業だ。「一日中、兄弟喧嘩が絶えない」「隙あらばYouTubeを見ている」「時間割をつくったが、異年齢兄弟が邪魔して機能しない」。なかには在宅勤務になった夫が、「少しは家事育児に協力してくれるのかと思いきや、“勤務”中は見事に(仕事部屋と化した)寝室から出てこない」「私(妻)も仕事があるのに、『俺は仕事中だから』の一点張り」という声も上がってきた。職場での真面目さが、在宅では裏目に出たケースだろう。

つくづく幼稚園や保育園、小・中学校や高校等の存在意義は大きかったと気づく。学校という場は、学力や社会性を身に付けるためだけに存在するのではない。リズムに則って生活できる場を提供する場でもあったのだ。フリーランスのライターである私は、「コロナ以前」から在宅勤務だったが、保育園・幼稚園・小学校が休みになって以来、まともに仕事はできなくなった。ベビーシッター・家政婦・教師役を兼任して、さらに仕事なんてできるわけがない。同様のことが全国の家庭で起こっている。当たり前だが、子どもはモノいわぬ人形ではない。小さくても人間だ。意志もあれば、欲もある。発言力もあるし、なんなら武力行使に出る行動力もある。ないのは自制心だけだ。だからこそ、全国のオフィスワーカーのPC画面には、全力で襲い掛かってくる子どもたちの映像がリアルに映り込んでいるというわけだ。