それでも検査を受けたいと考えるならば、すべては自分自身で決めなければなりません。根拠があろうとなかろうと自分自身で決めることができれば、たとえそれがつらく苦しい状況をまねいても、おそらく後悔することは少ないことでしょう。

ほかのだれでもない自分自身できめること、すなわち自己決定は、その選択の正しさを保証するわけではもちろんありません。しかし自分の生を生きること、それだけはまちがいなく確かにしてくれるでしょう。

望むべく選択とは「見る前に産め」

わたしたちの人生は、いつも自分が期待するとおりのお膳立てがされているわけではありません。それはどうにもならないことです。それをどうにかしようとするから、目の前のことに一喜一憂し、不安をもったり悩んだりすることになります。

室月 淳『出生前診断の現場から 専門医が考える「命の選択」』(集英社新書)
室月 淳『出生前診断の現場から 専門医が考える「命の選択」』(集英社新書)

そうではなくまず「見る前に跳べ」。もちろんその先になにがまちかまえているかは予測できません。しかしいくら情報を集めてもわからないものはわからないのです.しかしこういった「情報」をいくら集めたところで、人生の正しい選択をすることはできっこありません。

正しい選択、後悔のしない選択などというものは本質的にはありえず、そこにあるのは自分で決めて前に進むことだけです。充実した生を生きるのか、それが空虚な生にすぎないのかは、情報や知識の有無とはまったく関係なく、そのひとの人間性そのものというべきかもしれません。

望むべく選択とは「見る前に産め」です。

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