市場をストップし犠牲者を出すなら、共産主義的なサポートが必要だ
今回、新型コロナウイルス感染症の爆発的な感染拡大を防ぐために、政治行政が自由市場をストップさせた。政治行政から補助金ももらわず、自分の力で営業していた人たちに対して、政治権力の力で、その自由にストップをかけたのである。
(略)
自由市場をストップさせたということになると、これは半ば共産主義体制ともいえる。共産主義体制は政治行政が国民の暮らしを保障するのが根幹だ。
僕はイデオロギーには左右されない。自由市場が保障されている平時においては、ある基準軸があるとすれば、切磋琢磨の点で、その基準軸から一番離れたところ、つまり一番激しく切磋琢磨を求める政治的立場だ。しかし、自由市場が政治によってストップされた場合には、今度は基準軸から切磋琢磨とは反対の方向に一番突き抜けていく。つまり共産主義的な考えになっていく。
政治家時代、あれだけ補助金の削減をやり、切磋琢磨だ、自己責任だと言い続けていた僕が、なぜ今回は、徹底して生活保障をせよ、と主張するのか。
それは政治が自由市場をストップさせたからだ。
だから僕は、緊急事態宣言中の「解雇の禁止」というところまで振り切った考えを持つ。平時においては、もっと解雇を認めろ‼(解雇規制の緩和)と叫んでいたが、政治が自由市場をストップさせた瞬間に、解雇は禁止だ‼ という主張になる。
イデオロギーに固まるのではなく、状況に応じて政治的スタンスを変える。そしてその振れ幅が最も大きい。
収入がある者は、家にいるだけでいい。様々な自粛要請が発出されても通常通り企業活動ができる企業も別段困難を伴わない。
しかし、自粛要請によってダイレクトに営業停止になってしまったところはどうするのか?
収入がある者、通常通り企業活動ができる者は、結局、自粛要請によって営業停止になる人たちの犠牲によって安全を享受することになるのである。
これは一部の者を犠牲にして、一部の者が安全を享受していることに他ならない。
これは明らかに不公平だ。
この不公平を正すには、収入のある者たちは、自分たちの安全を享受する代償として、犠牲になった一部の人たちのサポートを徹底的に行わなければならない。
それが税によるサポート、休業に伴う補償というものである。
この税の使い方によって後に国民全体の負担が大きくなるにせよ、今、国民全体が安全を享受するためには、一部の者が被る犠牲を国民全体で分かち合うことは当然のことであり、これが僕の考える「ある種の共産主義体制」である。全体の安全のために犠牲になる一部の人たちに対しては、徹底した税によるサポートをしなければならない。
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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.195(4月14日配信)の本論を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【新型コロナ特措法問題】明日から飯を食えなくなる人に「自粛」を押し付ける緊急事態宣言の大きな欺瞞》特集です。