政治家は制度の羅列ではなく、「結論」をしっかり示せ

安倍政権の政府や、与党国会議員は、今、政府が様々な支援策を用意していることを並べ立てる。しかしその支援策は、給料がびた一文減らない役人たちが作っており、明日の飯に困る人たちの状況が分からないのか、机上の論に基づいて様々な条件が付せられている。そしてこれまた給料がびた一文減らない国会議員たちが、その支援策を誇らしげに語る。

制度は道具だ。だから制度は役人が作るもの。

しかしその制度(道具)を使えば、国民はどういうことが保障されるのか、その結論をしっかりと示すことが政治家の役割だ。

今の安倍政権や国会議員たちに決定的に欠けているのはこの点だ。

営業を自粛した事業所の労働者は所得の何割が補償されるのか。家賃はどうなるのか。労働者は自分の所得がどうなるのかが気になるし、事業主は店を閉めても発生する固定費の支払いに追われる。

さらに、事業をこれからも継続していけるのか否か。

ここに向けてのメッセージが絶対に必要だ。

西村康稔・新型コロナ対策担当大臣は、「事業補償はできないし、世界各国でもそういうことをやっている国はない。雇用調整助成金制度が所得補償の意味合いを持つし、中小企業や個人事業主には給付金制度を用意した。個人にも生活支援制度を作った。その他にも様々な支援策を用意している」と説明する。

これは役人的な説明だ。「事業補償」と言ってしまうと、営業利益まで補償しなければならなくなると認識し、それを避けているのだろう。しかし、この緊急時に、役人的にそこまで緻密に言葉を吟味しなくてもいい。

政治家は、国民が一番不安に思っていることに対して、ズバッとメッセージを発するのが仕事だ。

労働者は所得。事業主は固定費と今後の営業の継続性。彼ら彼女らの最も気がかりなところについて、その結論について保障し、政治家としての責任を示すのが政治家の役割だ。

(略)

ところが今は、西村大臣が列挙する支援策(道具)を活用しても、自分の生活がどのような結論になるのかが全く見えない。だから国民は不安に駆られる。

たとえていうなら、西村大臣は段ボール箱にぐちゃぐちゃに入った道具を見せて、これで大丈夫だろう? と言っているような状況だ。

そうじゃない。それら道具を使って、どんな作品(結論)を仕上げるのか、そこを見せるのが政治の役割だ。

雇用調整助成金制度があるから大丈夫! と言っている政治家はダメだ。この制度は、自由市場が保障されている環境の中で、事業者の経営がうまくいかなかったことの自己責任をも考慮し、給料の6割以上を払う休業手当のうち、日額8300円ちょっとを上限として一部補助を出すものだ。労働者にとっては原則6割の給料だけが補償される。事業主にとっては日額8300円以上は自分たちの負担。労働者の給料を6割以上払おうと思えば、それはすべて事業主負担として重くのしかかる。そしてこの制度を使うかどうかは、事業主の任意に任されている。

つまりここが最大の問題点なのだが、「事業主の不可抗力で休業した場合には休業手当を支払う義務がない」という解釈が成り立っている。緊急事態宣言が下されて自粛要請がかかったことで休業した場合には、不可抗力の休業とみなし、事業主は休業手当を支払わなくてもよくなるというのだ。雇用調整助成金制度を使わずに休業手当を支払わないということも可能なのである。

結局、雇用調整助成金制度によっては、必ず労働者の所得が一定補償されるというものではない。ここを理解していない国会議員が多すぎる。そして雇用調整助成金制度があるから大丈夫! と無邪気に叫んでいる。

だから本来政治が、「緊急事態宣言中の解雇は禁じる。休業手当の支払いと雇用調整助成金制度の活用を事業主に義務化する」という法律を作らなければならないのだ。

(略)

政治とは「国民に結論を保障する。その結論を達成するために、国民(自治体)に強制する法律を作る。強制する以上は、金の手当ても含めて全責任を取る」というものだ。

政府や与党国会議員は支援策を列挙するだけではダメだ。国民に対してどんな結論を保障するのか、まずそれを示すことが出発点だ。

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